国の衰退と没落――その1

京都大学名誉教授(教育学研究)・竹内洋氏の大著「革新幻想の戦後史」(中央公論新社2011)の最終頁が『繁栄の極みにあった国が衰退し没落する例は歴史に満ち満ちている。その原因は各種各様だが、ローマについては、パンとサーカスという大衆社会の病理により、漸次的水準低下が始まり、天才の焔は消え、軍事精神が消滅する事で滅んだと言われている。その再現がいま極東の涯のこの地で起こりかけていまいか。パンとサーカスならぬ「幻想としての大衆」に引きずられ劣化する大衆社会によって……』で終わっており、日本は戦後どこで間違えたかを模索中の筆者は大いに興味をそそられた。終章「革新幻想の帰趨」を中心に以下のように要約してみた。
1. 戦後の若者に関する特徴は、長期にわたって就学するという教育爆発と、農村から都会への地理的移動と第一次産業から第二・三次産業への社会的移動だったし、男はもとより女生徒でも向都離村を目指した。石坂洋次郎の小説「青い山脈・陽のあたる坂道」などは、あるべき近代的生活様式へのテキストだったし、伝統的な生活様式や思考様式を否定する「大衆近代主義」への案内書だった。モダニズムは職業構造・産業構造の大変化で生まれた大衆の憧れの対象だった。
2. 戦後日本の左翼政党支持者は、労働者一般ではなく、ホワイトカラー・大企業労働者など恵まれた労働者だった。自民党補助金道路建設などを、社会党は組合員の利害を争点にしていたが、ビッグな争点は非経済的問題――自衛隊講和条約・安全保障・教育法案・警職法改正案など――だった。社会党の支持者は、マルクス主義イデオロギーから自民党を非難するというよりも、天皇制を中核とした封建的絶対勢力を覆すブルジョア民主主義革命が先決だった。農村青年の「社会党を支持するという方が何だかスマートでハイカラのような気がする」などの発言こそ、草の根革新幻想の在りかを示している。このような反伝統主義的生活感覚が、封建制退治の社会党と親和性があり、モダニズム社会主義は結びついて行ったのだ。
3. ところで、大衆モダニズムは1960年代半ばにはもはや牽引思想でなくなったが、伝統主義を駆逐して70年代には身体文化として定着してしまった。「国が栄える為には個人の自由がある程度犠牲になってもやむなしか」という質問に対し、1956年では「そう思う」が52%有ったが、1975年には28%に激減し、大衆モダニズムと結合した革新幻想の定着は、70年代からの市民運動の盛り上がりなどに見られるものの、そうした運動の堕落した形態―住民エゴ―も現れるに至る。一部の市民運動では、役所に押しかけ器物破壊などを公然と行う事まで見られる。クレーマー(claim)社会とかお客様社会の凄まじさは、近年の交通機関の駅員や車掌への客による罵詈雑言や暴力にも見る事ができる。「人間は皆平等なのだから個人は自由に欲望を表出する事が許される」と言う「風潮としての民主主義」がこれらの堕落を後押ししている。このような「風潮としての民主主義」こそ、大衆モダニズムと手を結んだ革新幻想の末路と言える。
4. 民主主義と教育の大衆化の帰結が大衆エゴイズムだったかと思うと、「歴史の狡知」に唖然とする。しかし、今振り返れば、このような大衆人は、革新知識人が自らの覇権の援軍として、啓蒙し創出しようとした大衆の鬼子(大衆エゴイズム)でもあった。今の指導者がポピュリズム狙いのパフォーマンスに走るのも、指導者の資質の問題というより、層としての中間エリートを欠き、劣化した大衆社会圧力によるのではないか。・・・(と著者は言い、冒頭の結論を導いている。)
5. [筆者の感想] いわゆる進歩的文化人が戦後跳梁跋扈し、政官学の各界に左翼がはびこり、それに引きずられた大衆が鬼子になってしまったとすれば、戦後左翼の罪は万死に値する。