北方四島返還―無策の10年を脱却出来るか 

今年6月から7月にかけて、筆者は東郷和彦元外務省欧亜局長の著書「北方領土交渉秘録」を参考に、短文「北方四島その1 、2、3」を書いた。その1では、1956年の日ソ共同宣言以降のねばり強い交渉経緯を経て、2001年にイルクーツクで森・プーチン会談が行われ、それは「島が一番近づいた日」だった事を、その2ではしかし、森総理の退任と小泉政権発足に伴って、田中真紀子外務大臣就任など、日本側の諸々の不手際もあり、一気に日露交渉は壊滅してしまい、その後日本は無策の10年間を過ごしてしまった事を記した。最後のその3では、交渉実務を担当し「不眠不休で仕事をしその献身ぶりは余人の及ぶところでなかった(東郷氏談)」佐藤優氏の著書「国家の罠―外務省のラスプーチンと呼ばれて」を読んでの、筆者の感想『四島一括返還が幅を利かせた中にあって、それでは決して露がテーブルに着かない現実を打開すべく「二島先行返還、二島並行協議」を提案し、露側も拒否ではなかったものの、上述の如くでそれに移行し得なかったのは真に残念。今後とも挙国一致で本件に立ち向かわなくてはならない』を書いた。
 さて我が国では3.11以降、総理まで大震災対応で慌てふためいてしまい、外交どころではなかったが、4月下旬の産経新聞によると露は震災支援に乗じて中長期的な資源開発事業を持ちかけるなど、急速な対日接近を見せているようだ。また7月の同紙によると、露が日本に呼び掛けている北方領土での「共同経済活動」をめぐり、日露が北方四島周辺海域での「安全操業協定」や四島との「ビザなし渡航協定」を応用する方向で協議に入るようだ。いずれにしても、露は依然として経済に問題を抱えており、外国の力を借りたいが、地政学的にも軍事的にも中国は脅威であり、その点の問題が少なくかつ科学技術的にも魅力の多い日本に頼りたい気持ちが強い。
 そういう中で、2012年3月の大統領選の候補に、メドベージェフ大統領はプーチン首相を推薦すると述べた。プーチン氏と、代わりに首相の座につくメド氏の双頭体制が事実上、決定した。本件に関し露の政治状況に精通している佐藤優氏は新聞紙上で以下のようにコメントしている。『要するにメド氏とプーチン氏の間で深刻な権力闘争が展開されていたのだが、メド氏はその闘いに敗れたのだ。プーチン氏は中国をアジア最大の脅威と見なし、それに対抗する為日本との関係を重視していた。しかし、メド氏は対日関係悪化を招き、日本と言うカードを使えない状況を生み出してしまっていた。またメド氏は露のナショナリズムを煽る為北方領土を訪問し、領土交渉は完全にゼロの状態に陥った。プーチン氏は(平和条約締結後の歯舞・色丹両島の日本への引き渡しを定めた)「56年宣言」を露にとって「義務的なもの」と認識しており、この点でも2人の戦略は大きく異なる。プーチン親日家だと言うわけではない。中国に対抗する為に日本が大事だという乾いた力の外交の考えを持っているという事だ。いずれ、北方領土問題が動き始めるだろう。交渉は大変で露が四島をすぐ返すという事は考えられないが、日本人の感情を逆なでするやり方はしないだろう。プーチンはタフネゴシエーターだ。それに向き合うだけの外交的な基礎体力が日本側にあるだろうか』 氏はその点を大いに懸念している。
 自民党時代の橋本・森総理らの政治のリーダーシップ、これを支える、外務省の異能・佐藤優氏を始めとする有能なスタッフ陣があって初めてタフなプーチン政権に対応し得たわけだが、それとの対比では小泉以降の自民党各総理も、ましてや鳩山・菅も太刀打ち出来ず、現野田政権の素人閣僚ではとても無理だろう。国益を損しない為に、相手はプーチンなのだから、10年前の陣容(森・東郷・鈴木・佐藤各氏ら)を顧問団に迎えて強力な布陣で取り組んでもらいたいものだ。