2007-05-01から1ヶ月間の記事一覧

由良ガ岳                  

舞鶴市と宮津市の境、由良川河口の西にあり、日本海(若狭湾の西端)に面して、別名丹後富士とも呼ばれる丹後の名峰が由良ガ岳(640m)である。舞鶴若狭自動車道を北上し、舞鶴西ICで降りてから北近畿タンゴ鉄道(KTR)に沿って行き、日本海に出た所が「丹後由良」…

丹波焼鑑賞付・温泉付軽登山             

虚空蔵山という名の山は各地にありそうだが、丹波のそれは福知山線藍本駅から西に1kmにある、舞鶴若狭自動車道藍本トンネルの西500mにある虚空蔵山(596m)だ。平成6年4月に初めて行った事があるので今回は2回目。低山だが展望がよく個性的な丹波の名山と言わ…

近衛文麿、黙して死す  [木戸幸一その4]    

工藤美代子氏の著書「われ巣鴨に出頭せず」では、木戸幸一についての疑念がかなり表現されていたのだが、これを徹底して糾弾したのが本年3月草思社から刊行された掲題の鳥居民氏の著書である。『誰が近衛を殺したのか、木戸・ノーマン・都留は何を隠蔽したの…

7 ペリー来航と開港開国

猪口孝教授によれば、その後に大きな影響をもたらした日本の対外関係重要事件を挙げると、元寇・鉄砲伝来・ペリーの来航・先の敗戦と米軍占領の四つだそうだが、数年前から近現代史復習を心がけている私にとっても、ペリーの来航は最大の関心事であり、最良…

われ巣鴨に出頭せず(2) [木戸幸一その3]

1941年9月6日の運命の御前会議の後、近衛首相は退陣し、木戸の上奏により10月18日東條内閣が発足した。天皇の意を汲み東條は対米交渉にそれなりに努力はしたが、所詮は時間切れであり、12月6日の真珠湾攻撃となって行った。緒戦の勝利が長続きする筈はなく、…

われ巣鴨に出頭せず(1)  [木戸幸一 その2]      

平成18年7月18日の日経新聞夕刊に大変興味深い記事があったのだが、戦争責任を考える上で重要な情報なのでここに紹介する。「H.ノーマン」に続く「その2」である。「近衛文麿の尋問記録、英国で発見」「敗戦は必至、軍の暴走に苦悩」などの見出しの後、以下…

H.ノーマン:スパイと言われた外交官 [木戸幸一その1] 

対米戦争の開戦責任に関する論議は終戦当初から有り60年経ってもなお続いている。それは私の現代史復習のテーマの一つでもあり、以前に『日米開戦と近衛文麿の責任』を書き、「軍部の責任ももちろん大きいが、日本を破滅に導いた最大の責任者は近衛文麿であ…

帰って来い! 「はやぶさ」                

丁度一年半前に『頑張れ、小惑星探査機「はやぶさ」』を書きましたが、それは小惑星イトカワへのタッチダウン(着陸・試料採取)が何回か試みられている時であった。その後に再生された各種データを用いての解析によれば、第一回目は降下中に障害物を検出した…