由良ガ岳                  

舞鶴市宮津市の境、由良川河口の西にあり、日本海(若狭湾の西端)に面して、別名丹後富士とも呼ばれる丹後の名峰が由良ガ岳(640m)である。舞鶴若狭自動車道を北上し、舞鶴西ICで降りてから北近畿タンゴ鉄道(KTR)に沿って行き、日本海に出た所が「丹後由良」駅である。ここまで我が家から2時間弱。近くに国民宿舎「丹後由良荘」があり、そこの駐車場に車を置かせてもらって登山支度をする。すぐそばが登山口であり、9:00出発。赤松や雑木の林の中を徐々に高度を上げて行く。穏やかな陽射しの中、鶯が鳴き、爽やかな風が渡る。やがて杉や桧の混合林となり、道は急になってくる。一合目・二合目と標示があるのでそれを励みに標高差約600mを登ると鞍部に出、右に行って標高640mの西峰に達する。そこには大勢の人が居て雑木を切ったり作業をしているので聞くと、一週間後に「由良ガ岳登山大会」があるそうで、山頂から天橋立がはっきり見えるように整備しているとのこと。それが終わったところでこちらも撮らせてもらったのが下の写真である。西峰から鞍部まで戻り東峰に向かう。10数分で虚空蔵菩薩が祀ってある山頂に着く。快晴であり360度の展望でさえぎるものは何もなく、由良川の流れが眼下に見え、KTRの鉄橋を入れて河口を狙ったのが下の写真である。ここは「由良の戸」で有名で、百人一首に「由良の戸を渡る舟人かぢをたへ、行くへも知らぬ恋の道かな」がある。昼食後もと来た道を戻るのだが、途中三つ葉ツツジが多くそれを背景の写真を撮りながら無事下山し駐車場に帰る。
 由良川沿いにある公園に立つ「安寿と厨子王の像」が帰りの車から見えたが、この話を復習しておくと以下のとおり。『平将門の子孫で奥州岩城郡判官・平政氏には二人の子があり、姉は家臣・村岡重額の妻となり、弟の政道は父の後を継いだ。この政道の子が安寿と厨子王。ある時政道は義兄で家臣の村岡重額に暗殺される。安寿と厨子王は追われて母・乳母・家臣と共に長い旅に出る。直江津で人に騙され、安寿と厨子王は丹後の山椒太夫へと売られて行った。安寿は自らは入水自殺を遂げ、厨子王を脱出させる。彼は親智和尚の計らいで閑院右大臣に救われ、文武両道に励んだ。1023年厨子王は平政隆となり3000人の兵を連れ奥州を目指し、村岡重額を征伐し長年の宿願を果たした。朝廷より丹後の国守に任命さり善政に励んだという。』