森の環境国家             

 
過去10年ほど、週末の時間的余裕と天候の具合とがマッチするかを見定めては家内と共に山歩きを続けているものですから、最近「趣味は?と問われれば自信を持って「軽登山」と答えられるようになりました。山道を行きながら隣の尾根を望み、山頂からは幾重にも重なる山なみを遠望し、はたまた飛行機から北アルプスを見下ろす機会があったりして、日本は本当に山また山、谷また谷の国、緑濃い森林に覆われた豊かな国という実感をますます強く持っています。
事典を見ますと東日本はブナ・ミズナラトチノキなどに代表される落葉広葉樹林が多いとあり、講談社の写真集「ブナ」を図書館から借りて来て見ますと、八甲田山十和田湖蔦温泉白神山地朝日連峰などなどのブナ林がいずれも鮮やかに集録されていて、「四季による変化など豊かな表情を持つブナほど美しい森林はない。ブナは日本を代表する森林である。」との事です。もちろん西日本にもありブナの分布はほぼ全国的だそうです。岩波新書「山の自然学」によりますと、まとまったブナ林は日本列島の他にはヨーロッパ・アメリカ東部に分布するそうで、なぜその三地域なのかの解説が延々とありますがそれはともかく、ヨーロッパとアメリカ東部のは貧弱であって、これに比べ日本のは世界遺産白神山地のみならずすべてとてつもなく大したものだそうです。PHP新書「ブナの森と生きる」では、ブナの森の魅力は底知れないが、しかし残念ながら森は急速に荒廃しつつあると著者は訴えています。
先日大阪で一番大きい書店の新刊書欄で「日本よ、森の環境国家たれ」(中公叢書、安田喜憲)を見つけました。かなり独創的?な主張に溢れた著書のようで、人類文明をアジアモンスーン地域を中心とする稲作漁労の「森の民」とアフリカ・アジア乾燥地域を中心とする畑作牧畜の「家畜の民」とに区分しています。人類文明史は、動物文明(家畜の民)が植物文明(森の民)を駆逐する歴史であったが、そうした中で「森の民」日本は「家畜の民」に蹂躙されへこたれることが一度も無かった、と言ってます。しかし、21世紀は「家畜の民」である漢民族アングロサクソンが世界を支配する時代になるだろうと警告しつつも、これだけの経済発展を遂げながら、いまだに国土の70%近くが森に覆われている日本列島は人類史の奇跡であると述べ、森を引き続き大切にし森の文明の理念を国土経営から日常生活にまで取り入れた「森の環境国家」の構築に、日本人は国をあげて取り組まねばならないと主張しています。それなりの共感を憶えております。