上海一瞥                      

 九州屋久島から真西830kmに上海はあり、関空から浦東(Pudong)国際空港迄は2時間強という近距離なのだが、今回始めて行く機会があり、周辺の工業団地を駆け足で訪ねた。週末上海の中心にある「花園飯店」に2泊し、ざっと市内を一巡りした後最後はリニアーモーターカー(磁浮)にも乗り、遅まきながらその急速な発展を実感して帰国した。観光案内の基礎知識によれば、1842年のアヘン戦争後英国は通商港として上海を開港させ英国租界を作ったが、米仏もすぐに後を追い、上海のほぼ中心を南から北に流れる黄浦江岸の外灘(ワイタン)には各国の金融ビルが立ち並び、20世紀初頭には東方のウォール街と呼ばれる程になった、という(今これら上海の歴史を象徴する西洋建築群周辺は一日中観光客が多く、夜はライトアップされて大勢の人出で賑わっている)。 1911年辛亥革命・1926年蒋介石国民革命軍総司令・1931年満州事変・1937年日中戦争・1941年太平洋戦争、そして中華人民共和国成立が1949年なので、今年は建国55周年であるが、毛沢東の死去が1976年、勝g小平が指導権を掌握して改革開放へ大転換したのが1978年、更に彼が南巡講話でその加速を指示したのが1992年であるから、中国の目覚しい発展はここ二十数年の出来事である。80年代から上海を知る人によれば「その当時黄浦江の東側は農村だった」そうだが、その浦東新区を車で回ってみると広々とした工業団地となっていて、シャープ・パナソニック・日立などの大きな標識もある。1999年浦東区の黄浦江岸に建設された世界第4位のノッポビル・金茂大厦(チンマオターシア)420mの88階展望台(340m)から東西90km・南北85kmの上海市を見渡してみると、全方位が林立する高層ビル群である。北方遥か(20km)に数本の煙突が微かに見えるが、そこは揚子江に面する宝山製鉄所とのこと。上海市の人口は約1700万人とあるが、地方からの出稼ぎを始め統計にない人を入れると、実際は2000万人だろうと言われているそうで、その数字に驚嘆しながら展望台を降りる。その後中心街に戻ってレストランへ。個室の円卓に8人、庶民的な店だがフカヒレ上海蟹はじめ内容は一級らしく、全部で2000元、約28,000円だった。翌日は12:55発で帰国なので10:00にホテルを出る。リニアーモーターカーで空港に向かう。スムースなスタートで瞬く間に加速し最高の430km/hで2分弱走り、約8分で到着。運転席には女性が一人座っていたが、もちろん只座っているだけ。独の技術だそうだが、He(ヘリウム)などランニングコストが膨大で、北京−上海間高速鉄道をリニアーでやることは無さそうだ。空港では日本語の出来る若い女性のANA現地スタッフが案内してくれたが、「寮にでもいるの」と聞くと「家から通っているのだが片道2時間かかるので大変」との返事。そう言えば当社上海事務所の女性も安徽省から出て来ていて姉妹二人でアパート住まいと言っていたっけ。この超大都会での生活は彼女らにとり魅惑的であろうが、苦労も多いようだ。空港は揚子江の河口なので、飛び立った飛行機の窓からの海は茶色の泥水だ。昼食を済ます頃早や長崎の島々が濃紺の海面に見下ろせる。上海とその近郊では山らしい山は無かったが、ここでは阿蘇山由布岳石鎚山が次々と見える。そして平地は今黄金色の水田、それは正に豊葦原瑞穂国だ。やはり日本が世界一だ。