学士会館(本館)                    

  40年余り前の結婚式を神田学士会館で行なった事と、今から丁度10年前に会員になった事ぐらいで特段の関わりはないが、最近時折宿泊をするようになったので、学士会館を調べてみた。まずパンフレットには『学士会館の発祥は古く、明治19(1886)年に開かれた東京大学総理・加藤弘之先生の謝恩会を機に創立された学士会に端を発する。その後、旧九帝大の同窓会組織に発展した学士会の会員交流の場として建設された会館が大正2年の大火で焼失した為、東京大学発祥の地に昭和3年に再建されたのが現在の学士会館。帝国ホテルの設計者でもあった高橋貞太郎氏による設計、東京大空襲の際には何とか焼失をまぬかれ、現在は国の登録有形文化財。』とある。写真にある銅版に刻した「我国の大学発祥地」説明掲示板には次のように記されている。「当学士会館の現在の所在地は我が国の大学発祥地である。すなわち、明治十(1877)年四月十二日に神田錦町三丁目に在った東京開成学校と神田和泉町から本郷元冨士町に移転していた東京医学校が合併し、東京大学が創立された。創立当初は法学部・理学部・文学部・医学部の四学部を以って編成されたが、法学部・理学部・文学部の校舎は神田錦町三丁目の当地に設けられていた。明治十八(1885)年法学部には文学部中の政治学及び理財学科が移され法政学部と改称され、また理学部の一部を分割した工芸学部が置かれた。このようにして東京大学は徐々に充実され明治十八年までに本郷への移転を完了した。従って、この地が我が国の大学発祥地すなわち東京大学発祥の地ということにな る。」以下要約すると明治十九年に東京大学帝国大学と、そして明治三十年には東京帝国大学と、昭和二十二年には東京大学と改称された、となっている。明治五年、開成学校で米人教師ウィルソン氏が学科の傍ら生徒達に野球を教えたそうで、これが「日本の野球の始まり」と言われている。ウィルソン氏の野球殿堂入りを記念して建立されたブロンズの『日本野球発祥の地』記念碑の除幕式は平成15年12月6日に行なわれたそうだ。 さて宿泊の件だが、三年前からのリニューアルで宿泊施設の改装(一般家庭のような浴室の設置)が成り、和洋中の三料理店が開店するなど見違えるようになって、それで朝食付8600円は立派なものである。室数20だが通常の利用は数人のようで大変に静か、天井は高いし、必要なものはすべて(例えばヘアドライヤーも)揃っていて、問題ない。しばらく定宿としてみよう。