2.26事件は何故起こったか (渡部昇一新刊その2)

渡部昇一著「昭和史」を通読して興味を持った点が二つあり、一つは「その1」にまとめた「満州はシナではない」であり、もう一つがここで取り上げる2.26事件(1936年)の原因についてだが、私はこの点についても著者の見解に同感というか、さもありなんと感じている。以前「私の歴史認識1」(H.17.7.25)で、その当時の経緯については「第一次世界大戦の戦後恐慌、追い討ちをかけるような関東大震災、1929年の世界恐慌、などなどの大波を受けて経済基盤の弱い日本はたちまち混乱状態になり、農村漁村の窮状を憂える青年将校の血気が2.26事件を起こした」と淡々と記したのみだったが、渡部氏は、この2.26事件は日本の政治が軍に乗っ取られるという形の後遺症をもたらし、それ以降軍の意向に逆らっての政治は出来なくなったという意味でそれは立憲政治の実質的終焉だったし、「日本を滅ぼす最大の事件だった」と捉え、それは何故起こったのかについて逐次遡って考察している。
(1)まず2.26事件の直接原因は4年前の5.15事件(1932年)の処分が非常に軽かったから、とする。
(2)軽かった理由はマスコミ始め国民の多くが暗殺者達に同情的だったから、という。
(3)同情的だった理由は、当時の大不況はマルクスのいう恐慌そのものであり、重臣・政治家・資産家・地主はすべて抹殺すべしという共産主義思想に共感があったから、という。
(4)何故こんな思想が力を得て来たのかについて著者は「マルクス大恐慌予言に対する誤解」であって、不況の原因は米国のホーリー・スムート法という高関税法による貿易縮小であるとする。
 そこでこの高関税法について調べてみると、米国の景気は絶好調だったにも拘わらず輸入品との競争の激化を予想し、1929年5月に下院は関税の大幅引き上げ法案を通過させた。法案は翌年3月に上院を通過し6月に成立施行となったのだが、この法案の5月下院通過と同年10月のニューヨーク株式大暴落との関連の有無はともかく、この近視眼的・自己中心的な政策でますます世界貿易が縮小し世界経済は一層悪化してしまったのは事実だ。英国はこれに対抗するために英連邦のブロック化を図り(1932年のオタワ会議)、自己の植民地に商品を買わせて経済危機を乗り切ることが出来たのだが、いわゆる持たざる国だった日本は経済上の大打撃を受け、大量の失業者が発生し(昭和恐慌)、農村では生糸の輸出が激減して農村の生活は一段と苦しくなった。「このような窮状はマルクスのいう恐慌によるものだ!」との誤解が、打開には支配層の抹殺しかないとのムードを醸成し結局2.26事件が引き起こされた。あとは前述のように立憲政治の終焉に繋がり、戦争に突入してしまったというのが著者の解析である。これが錯覚でないと言って以下のような証拠を挙げる。●米英が中心となって大戦が終わらぬうちに自由貿易を目指すブレトンウッズ会議を開いた。戦争の原因はブロック経済にあると認めていたのだ。●日本が大戦に突入せざるを得なかったのが自由貿易の終焉によるものだったことは多くの資料が立証している。●マッカーサーも帰国後米国上院で、日本の開戦は自衛自存のためであったと証言している。
 著者の結論は「ホーリー・スムート法こそが日本を追い詰め開戦に追い込んだのだ」ということだ。私は、だからといって日本に開戦責任が無いとはもちろん思わないが、東京裁判の判決はいかにも一方的であり、日本人としては卑屈になることなく、我らが先人の苦難を偲び、代わって発言すべきと考える。英国気鋭の歴史学者・故クリストファー・ソーン氏の「太平洋戦争とは何だったのか」についての書評に東大教授御厨貴氏は「外交資料に基づく手堅い実証的な分析により、満州事変を第二次世界大戦の直接的要因とみなす東京裁判以来有力だった考え方に異を唱え、戦争の起源を調査する場合に、最初の一撃を加えた側の陰謀の追及だけにとどめるべきでないと、欧米諸国の責任も問うている」と記している。このような冷徹な学者が英国にいるのに、日本の学者・国民は一体何をしているのか。