中日工程技術研討会25周年記念祝賀会       

「日本と台湾の技術交流を目指した”中日工程技術研討会(中工会)”は1980年に始まり、毎年一回絶えることなく開催され、参加された講師人数は延べ880名にも達しました。思えば誠に感無量でございます。本研討会による日台間技術者の相互理解と友好促進の、台湾の技術向上・経済成長に対する貢献は計り知れないものがあります。25周年を迎えるにあたり、これまでに参加された諸先生方の友情と支援に感謝するとともに、今後の更なる発展に対するご指導を賜りたく、記念祝賀会を開催する運びとなりました。・・・・・」という出だしの招待状をもらったので、諸先生方の一人として参加した。主催は中国工程師学会、協賛が台北駐日経済文化代表処、パレスホテルに約200名が参集し、祝賀パーティーに先立って講演と表彰式が行われた。順不同でメモする。
(1) まず84歳の郭茂林(カクモリン)氏が登壇して25年を回顧された。氏は台湾出身で東大卒の建築家、1968年完成の日本初の高層ビル「霞ヶ関ビル」建設にあたり、三井不動産鹿島建設建築学会の精鋭を束ねたコーディネーター役を務め、今でも当該ビル32階にKMG建築事務所を持っておられるそうだ。日本の技術(地下工法・鉄骨組み・壁)を逐次台湾に伝え、台湾の高層ビルには全て関与して来たとの事で6つのビルの紹介があった。
(2) 台湾から駆けつけた交通部副大臣・周禮良氏の基調講演の演題は「台湾における公共建設に対する日本の貢献」で、日清戦争から大東亜戦争敗戦までの50年間日本は台湾で次々と大工事を進めてくれた、と言う。(イ)その中で最も大きいのが日月譚(リーユエタン)だそうで、当時は小さな池だったのだが水位を20m上げて、現在は周囲24km、面積約900ha、台湾中部きっての景勝地で知られている。日月譚水力発電は第7代の明石総督の時に建設が決定されたが、完成は1934年で、これにより台湾の総発電力は飛躍的に増大した。(ロ)台湾の鉄道だが、初代の樺山総督時代から台湾鉄道総司令部が作られ、使い物にならなかった清朝時代の鉄道の改築が始まった。1899年から工事が始まり基隆・高雄間405km単線の縦貫鉄道が1908年に完成、複線化が1920年に完了したと言う。この困難を極めた工事の監督は日本鉄道局技師・長谷川謹介であり、台湾鉄道界の恩人として銅像が立てられている。(ハ)豊富な木材を搬出する為の阿里山森林(登山)鉄道も河合鈰太郎の尽力によって1915年に完成した。阿里山は台湾一高い玉山(3952m)の前衛2400m級の18連山の総称、この鉄道は標高差2200m以上を登るため三重スパイラル線、4回のスイッチバックなどの特殊設計で、64の橋、56のトンネルがあり、西部幹線の嘉義駅から阿里山(2274m)迄約3時間である。(ニ)それ以前台湾に近代都市は存在しなかったが、初代総督時代から都市計画事業が始まった。31市町の都市建設が進められたが、若い東大卒の技術者による台北・高雄の都市計画などは中でも素晴らしいものだった。(朝鮮総督府は取り壊されてしまったが・・・・・筆者注) 台湾総督府は国旗が変わっただけで、現在も政治の中枢としての役割を果たしている。これを含め今も台北に残る巨大な古風建築の多くを建てたのが森山松之助だと言う。その他有名な八田与一のダム建設なども挙げて1895~1945年の日本の貢献には大変感謝しているし、それのみならず、最近数年の産業発展進歩でも日本のお世話になった、今後もよろしく、と締めくって降壇された。
 台湾人は恩に感ずる民族であり、日本には親近感を持っていると、若い副大臣は言われるわけだが、日本はこれをしっかりと受け止めて応えているだろうか。このような会合の内容が少しでもメディアに取り上げられて、日台間のパイプがもっともっと太くなってもらいたいものだ。