戦後60年を考える――団塊の世代から――            

京都大学大学院教授佐伯啓思氏の掲題の講演会を聴講した。氏は1949年生まれ、「経済学・ヨーロッパ思想史を軸に、現代社会の構造とそのイデオロギーの研究」を専門とする学者で、一番若い団塊の世代である。この年代は戦争の記憶もあり貧しさも知りながら戦後の民主主義教育を受けて成人し、日本経済の動きにリンクして政治的というよりは経済的人間として人生を送って来たわけで、テレビが最初に我が家に来た時の感動・長島巨人プロ野球の熱狂・個人の頑張り/企業の頑張り/日本の頑張りが一致する喜びを経験して来たのだが、そのような一体感が無くなった今、同世代が集まると「わが人生、こんなので良かったのかなー」というつぶやきが多いそうだ。60年安保・高度成長・ニクソン/石油ショック・冷戦終結バブル崩壊、そして失われた十年ではあったが、それも何とか乗り越えて行こうという時、消費生活は十分なのにも拘わらず、何か大事なものが失われているという気がしてならない、という戸惑いだそうだ。
  それは、常任理事国入りに対する中国の激しい反対・表向きはともかく同じく米国の明確な拒否・手を差し伸べ謝罪を重ねたにも拘わらずの中国の激しい反日運動などに出会う時、特に強くなる。日本が60年も経ってやおら世界の舞台に出て行こうとする時、同盟国米国でさえもそれに不賛成とは。やはり、あの戦争がまだ影を落としているのであり、あの戦争について決着がついていない、と思わざるを得ないと。確かに、団塊の世代にとってあの戦争は分かり難い、性格づけの難しい戦争だそうだ。全面的侵略戦争でもない、かと言って全面的自衛戦争とも言えない。「一部の軍国主義者が引き起こし推進した戦争だった」と言われても、とても釈然としない、にも拘らず、占領政策東京裁判そして講和条約と一貫して、あの戦争は「自由と民主主義の為に日本の軍国主義を打ち破った戦争」だと決め付けられ、占領中はともかく独立後も、自らこれに関して発言する事なく来てしまった。戦後あの戦争の意義を考える事なく、米国に押し付けられた歴史観(それは中国が叫ぶ歴史観でもある)をそのまま受け入れ、経済成長に走り防衛に関心を持たず60年が過ぎてしまった。そういう戦争ではなかったとせめて声を上げなくてはならなかったのにここまで来てしまった、その事が戸惑いの原因なのだと佐伯教授は慨嘆する。
  米国・中国という二大国の間で今後わが国はどうして行くか。市場原理に任せ、アメリカ型の価値観だけではダメではないのか、低成長であっても緩やかな安心の中で暮らすべきではないのかなど、戦争も貧しさも知っている団塊の世代は、将来の日本のシナリオを作る役割を担うべきだ、というのが講演者の締めくくりであった。
  その後最新刊の「抹殺された大東亜戦争――米軍占領下の検閲が歪めたもの」(勝岡寛次明成社)を入手した。まへがきは―「大東亜戦争」の抹殺と「太平洋戦争」の強制―であり、序章は―東京裁判の検閲―である。序章の38頁にも数多くの言論抹殺の事例が挙げられているが、ある雑誌の例を挙げると「・・・・判決の結果について、お追従的な賛成論を得々としゃべりまくる連中に対しては唾でも吐き掛けてやりたいような憎悪の念さえ禁じる事が出来ませんでした。こういう奴等に限って、戦争中は、軍部官僚の尻馬に乗ってうまい汁を吸い、そして、戦争が終わると、我先に民主主義のバスに飛び乗った連中です。・・・・」というような戦犯擁護でもない文章まで検閲で抹殺されたのだという。日本人はあの戦争について自ら調べて考えて意見表明する事を怠って来てしまったのだが、遅いとは言え、しっかりとした国民的議論が必要である、と思う。