青年遣唐使・井真成の墓誌  

出張での上京を利用した土曜日、猛暑ではあったが、久しぶりに上野の東京国立博物館を訪ねた。7月20日から9月11日迄開催の「特別展・遣唐使と唐の美術」が目当てだが、興味深々なのは、昨秋中国西安市で発見され、一時新聞紙上を賑わした遣唐使井真成(セイシンセイ)の墓誌の展示である。JR上野駅公園口から徒歩10分だが、チラシには『・・・・志なかばで命を落とした井真成。日本へ帰りたいと言う彼の想いは、千数百年をこえた今、実った』とある。
 墓誌は白っぽい石であり縦40cm横39cm厚10cm重さ64kg、製作年は唐時代・開元22年(734)、再開発の地域であり見渡す限りの瓦礫の原から発見されたのだが、建設機械でひっかかれた為いくつかの文字が欠けている。端麗な楷書体の171文字の現代語訳は次の通り。『尚衣奉御を追贈された井公の墓誌の文。公は姓は井、通称は真成。国は日本といい、才は生まれながらに優れていた。命を受けて中国へ派遣され、・・・・・・中国の礼儀教養を身につけ、中国の風俗に同化した。正装して朝廷に立ったなら、並ぶものはなかったに違いない。・・・・・・。開元22年正月官舎で亡くなった。36歳。皇帝はこれを傷み、しきたりに則って栄誉を称え、詔勅によって尚衣奉御の官職を贈り、葬儀は官でとり行わせた。・・・・・・。 その言葉に言うには「・・・・・・身体はもう異国に埋められたが、魂は故郷に帰ることを願っている」と。』最後は、形既埋於異土魂庶帰於故郷、である。あくまで唐の立場からとは言え、未来ある秀才を悼む切実な感情が表されている。井は中国人風の姓なのだが、その日本名は不詳。史書に記載はなく、いったい誰を指しているのか、その出自は葛井(フジイ)氏なのか井上氏なのか、様々な論議を呼んでいる。いずれにしても渡来系の中小豪族出身で、19歳の養老元年(717)に第9次遣唐使の一員として入唐したらしい。そうなら高級官僚として唐で生涯を終えた安倍仲麻呂、帰国後右大臣まで昇進した吉備真備、僧玄恕痰轤ニ同期生だ。
 展覧会では、画期的な発見となったこの墓誌を核として、7~8世紀に日本からの遣唐使がその目で実見したであろう唐文化の精華と言える品々が、遣唐使関連の日本伝来の遺品と共に展示されている。その一つを添付したが、これは[禽獣草花文三足小壺]とあり、細緻な文様を高度な技量によって表現した唐代銀器の傑作とある。陜西省考古学研究所所蔵。中国政府の特別の許可を得て公開された墓誌の方だが、そのものは不分明なので拓本を載せた。
 2時間近くの鑑賞後出て来たら、たまたまこの博物館の名誉館員(言わばOB)杉山氏の月例講演「仏像の起源とその展開――中央アジアから中国へ――」が始まるところで、シルクロード文物・古代中世の東西文化交流・大谷探検隊・陳列品出土地点分布など興味深い講演だった。何と言っても東京はいい。
東京在住の皆さんはうらやましい。老後は東京に限る。