中国に社会主義は必要だった?

 「中国は社会主義で幸せになったのか」という興味をそそる書名のPHP新書新刊がある。著者は57歳の立命館大学教授で中国近現代史専門の北村稔氏。 清朝末期から始まった中国国内の政治変動を背景にどのような経緯を経て中国共産党が出現して政治権力を掌握し、更には今日の混乱に至ったかを分析したものだが、その狙いは、中国の混迷の現況を、中華人民共和国の出現は「社会主義の衣を着た封建王朝であった」という観点から読み解くもので、その要旨は次の通り。
(1) 日清戦争敗北後(1895年)、光緒帝の支持のもと革新官僚の康有為が大規模な行政改革を開始。
日露戦争後は大量の留学生が海外に派遣され、多くは日本に赴いた。立憲君主体制への期待が高まってはいたが、一方清朝の体制改革を見限り共和国の樹立を目指す革命団体が出現し、各地の暴動に漢満人種の民族問題が絡み合い1911年に辛亥革命が達成されてしまう。この混乱を収拾し中華民国を成立させたのは初代大総統の袁世凱だが、彼の死後(1916年)軍人達は派閥を形成し、1919年に孫文中国国民党を結成したものの、中国は軍閥の内戦という大混乱に陥ってしまう。
(2) 1919年に設立されたコミンテルンは人を派遣し、1921年に党員数50名余りの共産党を設立させたが未だ弱小であり、共産党員の国民党への加入を促した。1924年の第一次国共合作は、中国内に親ソ勢力を築き上げて列強の包囲網に対抗しようとしたソ連政府の外交戦略と、政治権力の復活を目指す中国国民党の政治戦略との合体の結果であった。蒋介石を校長とする士官学校が開設され、国民革命軍が組織され、全国を統一する大規模な軍事作戦である北伐が1926年に開始されるが、国民党・共産党の間に内在していた矛盾(労働運動・農民運動)が頂点に達して、翌年国共合作は終焉し内戦状態に陥る事になる。 反帝国主義闘争の範囲の労働運動は問題が少ないが、民族産業まで敵に回すのでは合作は成り立たないし、余りに階級闘争の色彩を帯びて、地主側の自警団である民団と農民自衛軍が衝突するような事態は国民党にとって許し難い。このような状況下に共産党の軍事反乱が起こるのだが、権力奪取には失敗し、やがて共産党独自の武力が農民ゲリラとして構築される事になる。これが「社会主義の衣を着た封建王朝」の出発点となった。
(3) 国民党と敵対関係に陥った共産党は各地で遊民層を吸収して紅軍を組織し、ゲリラ戦で農村に支配地域を作り国民党に対抗した。共産党ソビエト区建設は、土地改革を断行して社会主義革命を追及する表面的斬新さとは裏腹に、歴史を前進させる内実を備えてはいなかった。これに対し国民党の経済建設は生産手段の大幅な革新による生産力向上の内実を備え、国家資本主義中国への道を歩んでいた。これは現在の中国の改革開放政策と軌を一にしている。
(4) 第4章は「幸福になれない中国人」であり、土地改革で搾取される農民・農民生活の惨状・人民公社の弊害・変わらなかった重税・知識人の受難・複雑怪奇な権力闘争・凄まじかった民衆の被害などの小見出しが続く。そして終章は「中国に社会主義は必要だったのか」であり、?1949年成立当初の中華人民共和国の内実は伝統的封建体制のままだった事、?康有為の体制改革運動・孫文らの共和国樹立・蒋介石らの国家資本主義革命運動などこそ国民を早目に幸福にしただろう事、?現在の共産党の支配体制は現中国の諸課題を最終的には解決していない事、?今もって「貪官汚吏」が大量発生しており、クリーンな制度などもとから存在せず汚職が常態である事、などを読者の皆さんにご理解頂けたと思うと、そして中国は未だに流動的だと著者は結んでいる。すなわち社会主義封建王朝の交代も有り得ない事ではないと言う事だろう。一読をお薦めする。