金利引き上げと量的緩和              

 ほぼ2年前に「円高阻止のドル買いは不適切」という短文を書き、「むしろ円高を素直に受け入れるべきで、内需中心に成長率が高まればおのずと輸入が増えて経常黒字が縮小し、国内投資家も海外投資のリスク余力が高まり、いずれ円高にも歯止めがかかる」という一つの主張を紹介した。その後、神奈川大学教授・吉川元忠氏の「経済敗走」(ちくま新書H16)が発する「…ドルの信認が低下しているのに、円がドルを買い支える構造は変わらず更に深まっている。その先にはとんでもない結末が待っているかも知れない。…」という警鐘に、なぜ日本はこのようになってしまったのかと、それ以上は分からず素人の悲しさを託っていたところ、昨年末に同様な視点に立つ三国陽夫著「黒字亡国」(文春新書)が出版された。私なりに要約すれば、以下の通り。
(1) まず帯には、日本経済を苦しめたデフレの真犯人は?、赤字を垂れ流す米国が何故好況に沸くのか、黒字を貯めれば貯める程日本の活力が殺がれる、日本(円)は米国(ドル)に富を収奪される通貨植民地である、「輸出立国」の実態は「輸出亡国」だ、などとあり衝撃的である。
(2)用する事だったが、それを植民地国内で使えれば自国の経済・社会の発展により寄与出来た。…」とあるのを、そしてインドの歴史書には、「…植民地の生産物を宗主国の通貨で取得する事は何を意味するか。それは労働による生産物を殆ど無価値の紙切れと交換するという商取引であり、植民地の輸出産業は栄えるが、そこからはずれた国内経済は富の移転によって疲弊していく。インドでもこの点が政治問題として議論を呼んだ。」とあるのを紹介している。
(3) 1971年のニクソンショックにより金とドルとのリンクが絶たれ「ドル為替本位制」になっている。好景気の米国は今莫大な赤字を垂れ流しているが、輸出代金を金(きん)でなくドルで受け取らざるを得ない日本(ほか中国・アジア各国・石油産出国)は、米国債券を購入して運用せざるを得ず、それは結局米国の赤字の穴埋めをしているに等しい。米国が赤字の心配をしないのは、いざとなれば、円の切り上げによって日本への債務などいくらでも減価させる事が出来るからだ。
(4) 米国消費者が日本製の自動車を買う」という例を考える。輸出代金(ドル)はメーカーから金融機関に渡ってメーカーは円を入手するが、問題は金融機関がそのドルをどうするかである。無理に円に換えようとすれば円高となるので、これを避けるべくドルのまま米国債などを購入する。米国に輸出しても代金相当分は日本で使われず米国に還流してしまうのだ。(植民地と同じ?) 日本は生産者の立場を、米国は消費者の立場を優先しているという背景に実は起因しているのだが、アリとキリギリスという国際分業をいつまでも続けていて良いのか。
(5) 19世紀の半ば英経済紙「エコノミスト」の編集長パジョットは「最大の金融危機は、国内で銀行から預金が流出し(取り付け)、同時に国外に預金が流出(資本逃避)する事」と定義しているが、日本では正に「最大の金融危機」が静かに起こっている。パジョットの処方箋は次のように明快だ。『金利を引き上げて内外に流出していた預金を銀行に戻す。利益を上げて高い金利でも借りられる借り手に、これをどんどん貸し出す(量的緩和)』。預金を活きた活動に結びつくようにするのが、金融政策の要諦であると。
 ドルを支える点からは一気の金利上昇も困難だし、下手にやって不動産バブルを起こしてはならず何に金を回すかも難問だ。しかし将来の日本経済の基本線は「こういう事なんだろうな」と素人なりに了解した。どういう国家・社会・国土にすべきかの国民合意が最優先事項だろう。