3 山菜てんぷらの話

                                        
その一 妙見山の「蕗(ふき)のとう」            

  久しぶりの好天気に恵まれた四月二十七日の日曜日、日本三妙見の一つ但馬妙見(日光院)が麓にある但馬妙見山を、家内の運転で目指す事にする。宝塚ICから中国道を西に行き、福崎ICから播但連絡道和田山まで北上、九号線で八鹿町へ来て石原という所(標高一五〇米)まで行く。そこまではバスが行くようだが、そこからはいよいよ急坂の林道になる。日光院を経由して着いた妙見キャンプ場(標高七五〇米)に車を置き、よく整備された山道を標高一一三九米の妙見山に向かう。実を言うと一ヶ月前にもキャンプ場まで来たのだが、同じく好天ではあったものの、まだまだ雪が深く道もはっきりしないので登山を断念し、急遽近くの出石町(古くから山陰有数の大社であったと言われる出石神社などで知られる)の観光に切り替えたのだった。今回は雪も殆ど溶け、ところどころ残雪があるものの絶好のハイキング日和である。つづら折りに登って約二時間で頂上に到達したが、山頂付近はザゼンソウの群落やブナの巨木もあり自然の宝庫であった。
  しばらくの休憩の後、北に延びる尾根を辿って下山する。最低鞍部まで来ると尾根と並行する林道が現れ、歩き易そうなのでそちらを行くと、思いもかけず残雪の中から「蕗のとう」があちこちに顔を出している。二人でそれらを手折りながら百米ぐらい行く間にビニール袋が一杯になってしまった。妙見峠まで来て本来の尾根道に戻り、昼間にも拘わらず薄暗い杉の巨木の中を下ると名草神社に出た。
これは五穀豊穣を司る名草彦大神主祭神とするお宮様だとパンフレットに書かれているが、更には、敏達天皇十四年(五六七年)、養父郡司の高野直夫幡彦(たかののあたいふばたひこ)が紀伊国名草郡からやって来て、郡民が悪い疫病や五穀の病虫に苦しむことを憐れみ、祖神である名草彦神を祭ったと神社では伝えている由。拝殿は中央が通路になっている割拝殿で元禄元年(一六八八年)に建設されている。奥の本殿は正面十八米・側面九米の大きなもので宝暦四年(一七五四年)に完成している。本殿・拝殿から少し降りたところに鮮やかな朱塗りの三重の塔がある。これは出雲大社の境内に、出雲国の大名となった尼子経久が願主となって、大永七年(一五二七年)に竣工したのだが、寛文五年(一六六五年)こちらに移設されたそうな。出雲大社本殿の材料として妙見杉を提供した縁で譲り受けたのだと言う。ただし、昭和五十九年に大雪で屋根が落ちたのでその殆どを解体修理し、昭和六十二年に完成したのだそうで、従って新品同然なのは当然である。
  そこから約二十分の水平行でスタートのキャンプ場に戻り、もと来た道を帰る。帰宅して早速、「蕗のとう」でフリカケを作る。まず出来るだけ細かくみじんぎりにする。それに、半分ぐらいの量の花かつおをこれもみじんにもんで加え、醤油で味付けしてとろ火で水分が無くなるまで約二十分ほど炒ると、絶品が完成する。次はてんぷらだ。手ごろな大きさの二十個ぐらいを選んでさっと揚げるとレストランでは味わえない山菜てんぷらが出来上がる。今日は一日健康にはいい事ばかりだった。
 (以上は一昨年(二〇〇四年)四月の小旅行文です。)

その二  丹後半島の「楤(たら)の芽」              
                                    
  四月十八日(日曜)朝六時いつものように家内の運転で出発、中国道から舞鶴若狭道を行き、綾部JCTから綾部宮津道に入り宮津天橋立ICで普通道に降りる。丹後半島の付け根に当たる部分を横断して日本海に出る直前で山地に向かうと、しばらくして目指す「依遅ガ尾山」(いちがおやま)登山口(標高一八〇米)に着く。ここまで約二時間半。この山はわずか標高五四〇米に過ぎないのだが、丹後半島の先端に位置していて海岸から急傾斜に立ち上がっており、周囲に高い山がない為、遠くからもその特異な山容が望まれる関西百名山の一つである。この地域は対馬暖流の影響を受けていて、北国の割に常緑広葉樹が多く、かし・しい・つばきなどが茂る樹林の中をジグザグを描きながら一気に高度をかせぎ、約一時間二十分で頂上に立つ。春霞で日本海の遠望は利かず水平線は不分明だが、近くには小さな白い漁船が何艘も見える。振り返って南の方向は幾重もの山並みがあり、その一番奥が鬼退治伝説の大江山のようだ。眼下の道路わきに車が置いてある筈だ。
十一時発で下山としたが、歩き始めてしばらくして山道のわきの藪の中に立派な楤の芽を見つける。子供達の小さかった頃には宝塚の我家の近くでもいくつも面白いように採れたのだが、最近は全くお目にかかれなくなっていたものだから、藪をかき分けながら十ヶ程もぎ取る。更に下ると今度は生きのいい太目の蕨の群落が見つかりあっと言う間に袋一杯になった。当然ながら今夜はもぎたての山菜てんぷらだ。
今回は初級登山の為正午過ぎに終了したので、初めての丹後半島を一周して帰る事にする。走り出してすぐ目に入った「古代の里資料館」を覘いてみる。丹後には縄文遺跡が多く又全長一九〇米の前方後円墳など日本海側最大規模の古墳があるとある。最近はどこの町に行ってもこの種の歴史博物館があり、大変いい事だ。再出発して日本海に出るとまず屏風岩、次に丹後松島が望め、宇川温泉・よし野の里に到着。丹後町を含めて六町が合併し、この四月から京都府京丹後市」となったのを祝って、しばらくの間入浴料を二百円下げて四百円とある。初夏の軟らかい陽射しが注ぐ広々とした露天風呂から、穏やかで広大な日本海をはるかに望んでさっぱりした後、ドライブを再開。半島先端の、明治三十一年初点灯の灯台がある経ヶ岬をぐるっと回って、宮津湾に帰って来る。天橋立の松林を望みながら、宮津天橋立ICから帰路につく。丹後半島迄行って登山をし、温泉につかって日帰り出来るなどとても昔は考えられなかったのだが、これも高速道路のお蔭である。明るい中の夕食の山菜てんぷらも、久しぶりの美味であった。
(以上は昨年四月の丹後半島一周のドライブ記です。今年も、宝塚から丁度いい距離なので、丹後・但馬へ出掛けてみたいものですが、どうなる事やら。)