「中国の赤い星」の嘘               

エドガー・スノーの著書「中国の赤い星」の初版は1937年に刊行され、中国のみならず世界中に衝撃を与えたようだが、1952年には日本でも出版され、毛沢東指導の中国革命を賛美して伝えたこの著書は日本の知識人層に大きな影響を与えた。高校時代にこれを読んでいればあいつは勉強家で一枚上だと言われるような雰囲気があったのを私も記憶している。あの頃から50年、月刊誌「諸君」今年6月号に「夫、エドガー・スノー毛沢東に騙されていた」と題するスノー未亡人の激白が、在米ジャーナリスト池原麻里子氏によって紹介されたのだが、私にとっては正に驚天動地の記事であった。スノー自身は晩年(1972年67歳で死去)中国革命や毛沢東への幻滅を語っていたようだが、何故か日本には伝えられる事がなく、昨年英米の読書界で話題になり日本でも翻訳が出た「マオ 誰も知らなかった毛沢東」の中で、初めて当時のスノーの活動の疑惑が知られるようになったという。著者は「毛沢東は、貴重な情報と全くの虚構をないまぜにしてスノーに聞かせたのだが、それを鵜呑みにしたスノーは毛沢東共産党指導部を、『率直で・腹蔵なく・気取らず・潔い』と評したし、刊行される前に毛沢東らのチェックを受け都合の悪い部分は削除されたにも係わらずその事実をスノーは公にしなかったし、全体としてスノーは毛沢東中国共産党プロパガンダに屈したも同然だった」と分析しているのだ。
そこで池原氏はスノーの二度目の妻であり、ジュネーブ郊外に住む、85歳のロイス・スノー未亡人への電話インタビューを交えて以下のように検証している。スノーは1905年生まれ、大学卒業後1927年世界旅行を計画、横浜から上海に向かい、大学の先輩のつてでチャイナ・ウィークリーの仕事をもらったりして国民党幹部とも会い記事を書き続ける。ソ連のスパイとも言われる孫文夫人宋慶齢の知遇を得て「国民党は死滅の運命にある。共産党のみが中国における真の革命勢力である」との彼女の言を引用しつつ、半ば自分の考えを表明したりもしていた。1935年日本が中国北部を侵攻した事に反感を持ち、共産党本部への取材を希望して周恩来毛沢東と出会い、毛沢東を「偉大になる可能性を秘めた人物」と紹介する。1941年十三年振りの帰国と同時に「アジアの戦争」が出版されるが、朝鮮戦争勃発の1950年以降マッカーシー旋風に追われてスノー一家はスイスに移住する。1960年スノーは中国を訪問し訪中記録「今日の赤い中国」を書くが、米国に亡命した中国のある反政府活動家は、スノーは毛沢東プロパガンダの手先でしかない、と批判している。スノーはその後二度訪中しているが、最後の1970年には「二度と中国には戻らない」と決心し、「中国の赤い星」を書いた事に自責の念を覚えたと伝えられている。スノー夫人は2000年に訪中したが秘密警察から人権団体との接触を妨害され、憤慨して帰国する。池原氏のインタビューにスノー夫人は「社会主義を掲げながら、一部の支配層が特権階級なのは偽善。言論統制文革時代と変わっていない。革命は将来性があると夫は期待していたのだが、最後の訪中ではすっかり傷心していた」と語っている。
今でも中国共産党はスノーのホームページまで作り、「赤い星」も自分たちに都合の良いように勝手に改竄して刊行しているという。中国からアメリカに亡命した「中国の嘘」の著者・何清漣氏は「外国人ジャーナリストの支持が必要な時は相手を友人として見なして国賓待遇でもてなすが……」と述べる。池原氏の結論は「スノーの晩年の悔いを繰り返す事がないように、自由世界のジャーナリストは彼の体験を『他山の石』として行動すべき」である。青春時代に「中国の赤い星」に胸躍らせた我が年代も今当時を振り返り、我々は騙されていたのだと改めて認識し、今からでも遅くないと意を決して、歴史の真実に立ち向かわなくてはなるまいと私は考える。