福島県田村郡滝根町菅谷国民学校          

福島県いわき市での所用が終わり翌日が休日であった為、磐越東線(いわき-郡山)に乗って神俣駅迄行き、途中下車して掲題の学校を訪ねた後、同駅から郡山に出て、駅前からバスで福島空港に行き空路伊丹に戻るという計画を立てた。国民学校2年生だった私が終戦の年の春に母・弟と三人で縁故疎開して、一学期だけ通ったのが掲題の学校だ。菅谷駅神俣駅の一つ郡山側にあり、そちらが目指す学校に近い筈なのだが、ホテルで相談したところ「多分タクシーは無いだろう」との事で神俣駅を拠点に行動する事としたのである。
いわき発8:43の2両のディーゼル車で、短いトンネルの多い、JRではあるがもちろん単線の、しかし最高速度は時速100kmの田舎鉄道を行き、9:33神俣に着く。この近くには1964年発見された東洋一の「あぶくま鍾乳洞」がある、と観光案内で分かっていたので、まずそこに行くようタクシーの運ちゃんに言い、こちらの事情を手短に話して改めて11:00に迎えに来てもらう事とする。あぶくま洞見学は別途報告として11:00から再度タクシーで62年前の記憶をたどる「旅」に出る。国民学校はすぐ分かった。当時はもちろんこうではなかったが今は三階建ての立派な校舎で、表札は写真のように田村市菅谷小学校となっている。休日でもあり鍵がかかっていて中には入れず、写真だけでおいとまする。
次は本題の疎開先だ。「大和田さん」というだけでは運ちゃんも分からず、「通学は鉄道を横断した」という微かな記憶で走ってもらい、「こんな感じの所だったなー」と思い始めた頃、「あっ、ここじゃないか」とストップして撮った写真が下の二枚だ。道路から坂道を上がった瓦屋根が当時藁葺の母屋であり、隣の小さな離れを借りて母子三人が住んでいたのだ、「これに間違いない」と思って道端の別の家の表札を見ると同じく「大和田」となっていて、100%間違いない事が分かった。何の準備も無く、時間も無いので、昔懐かしい小川の辺りの写真を撮って、今回は帰る事とする。何らかの方法で連絡を取りこちらを思い出してもらってから、再度訪問したいものである。