真言宗総本山・東寺(冬の京都-1)                

昨日の降雪も止み快晴の日曜日となったので、急遽家内と二人車で京都に向かい東寺を訪ねる事になった。京都南ICを降りて国道1号をまっすぐ北上し九条通りにぶつかったところが目的地である。800円の拝観料で中に入ると、この二ヶ月程8ヶ所10寺院を対象に非公開文化財特別公開「京の冬の旅」キャンペーンが京都市主催で行われている事もあって、観光バスも多く朝から大勢の観光客で境内は賑わっている。823年嵯峨天皇から賜った東寺を真言密教の根本道場とすべく、空海(774〜835)は講堂を建設し(1486年に焼失し5年後再興)、鎮護国家済生利民の大祈祷を奉修する為に、仁王経の五菩薩・五明王・五方天に五仏と梵天を加えて(写真にあるように)21尊を配し、真言密教を分かり易く表現しようとしたとある。次の金堂だが、同じく1486年に全焼してしまい、今のは豊臣秀頼の援助で再建されたそうであり、安置されているのは薬師如来坐像と左右の日光・月光菩薩立像、いずれも1603年の作、仏師・康生の渾身の名作とある。
境内の東南隅にあり総高55mもあるので遠くからも見える東寺のシンボル・五重塔、その初代は空海が826年に着工し883年(空海没後50年)に完成したのだが、その後焼亡を繰り返し現在のは5度目の塔で1644年徳川家光の寄進によって再建された。特別公開という事で初層の内部に入る事が出来たが、外側に12本の側柱、中に4本の四天柱、中心に心柱がある。彩色を施された側面内部は真言八祖像・阿弥陀など四如来坐像と諸菩薩立像の華麗な姿が描かれている。明治初年の廃仏毀釈でかなり破壊されたのだが、その後逐次修復が続けられているそうな。ところで四度の焼失を経ている五重塔だが地震による倒壊の記録が見当たらないそうだ。軸部・組み物・軒を組み上げ、これを最上階まで繰り返す積み上げ構造になっており、木材どうしも切組みや単純な釘打ち程度になっていて、緊結されていない柔構造だからだそうだ。塔の固有周期は1〜1.5秒で地震に共鳴しない、単位面積当たりの木材の使用量が非常に多く水平力に対する抵抗が大きい構造、などが耐震の理由だそうだが、2006年4月に五重塔の耐震性の謎に迫る実験がつくば市にある防災科学技術研究所で行われたそうで、有力説の一つとされて来た「心柱振動吸収説」に疑問符がつく結果が出たと報じられているようだ。因みに心柱は東寺の場合三本継ぎだそうだが、塔身の乾燥による収縮より心柱の収縮は少なく屋根を突き上げてしまった為、建設後48年の1692年に約50cm程最下部が切り下げられたそうだ。