浄土宗総本山・知恩院 (冬の京都-2)

午前中の東寺散策の後、国道1号四条通迄北上し、右折して鴨川を越えると八坂神社に来る。南禅寺平安神宮が近いが、今日は知恩院のみとし、まず暖かいお蕎麦で腹ごしらえをする。長い石段を登って境内奥迄行き、非公開文化財特別公開の「経蔵」に入る。これは1621年の建立(一番目の写真)。内部の八角形の輪蔵に徳川二代将軍・秀忠寄進による「宋版大蔵(一切)経」約6千巻が安置され、その為の取っ手を持って写真(二番目)の輪蔵を一回転させれば、全巻を読誦するのと同じ功徳を得られるという。天井には極彩色で描かれた飛天や鳳凰が絢爛華麗に舞っている。次ぎは勢至堂(三番目の写真)、これは知恩院の旧本堂であり1530年再建の現存する知恩院最古の建造物。法然の幼名が勢至丸でありこの地が法然の亡くなった場所であり知恩院発祥の地である事からの名称だ。本堂をちょっと覗いてから三門(四番目の写真)に向かう。しばらく行列に並んだ後、右から急な階段で上層に上がる。内部には釈迦如来像と16羅漢像が安置され、天井には天女や飛龍が極彩色で描かれている。楼上からは京都市内が一望出来た。左から同じく急な階段を降りる。1621年秀忠により建立された三門は高さ24m横幅50m、写真で分かるように五間三戸の二重門であり(正面柱間が五つ、中央三間が通路、そして二階建て)、木造の門では世界最大を誇っている。
 さて法然だが、平安の末1133年美作国(岡山県)に生まれ、13歳で比叡山に登り天台の学問を修める。政権争いの内乱が相次ぎ、飢餓・疫病・天災などの中での当時の仏教に疑問を抱き、「南無阿弥陀仏」と声高く一心に称える事ですべての人が救われるという専修念仏の道にたどり着き、1175年法然上人43歳の時浄土宗が開宗される。その後比叡山を下り、現在の知恩院御影堂の近くに移り住み念仏の教えを説く生活を送る。一時弟子の不始末の責任をとり四国流罪の憂き目に会うが、5年後帰京し1212年入寂80歳だったという。