小説「失われた地平線」             

ある日曜日の産経新聞をめくると、黒々とした山並みを遠景とし緩やかな傾斜の広々とした草原とそこに生活するチベット族の若い母親達と子供らの大きな写真が目に入った。点々と見えるのは放牧の馬か。そこは中国雲南省北部でミャンマーとの国境に近い標高3400米の高地。さて探訪するとすれば、成田から雲南省省都昆明まで週一回の直行便で5時間、昆明から世界遺産「老街」で知られる麗江まで空路40分。そこで一泊し、車で5時間行くと目的地の中甸(チョンティエン)である。そこで今、省をあげてのシャングリ・ラ狂騒曲が演じられていると言う。
イギリスの作家 J.ヒルトンの小説「失われた地平線」では、1931年、北インドパキスタン方面の動乱のさなかに、回教君主が提供した旅客機で白人四名が誘拐され、世界の尾根と呼ばれるカラコルム山系を越えてチベットの奥なる理想郷「シャングリ・ラ」へ連れ去られる。そこは月が青白く輝き、深い森や川や谷に囲まれた大自然だったが、無事に不時着し、ラマ教大寺院の張という老人に助けられる。不老長寿の地、時の流れから開放された秘境だったが.....。と、狂想曲の背景を記者は説明してくれる。
早速、書店で探してみるがなかなか見つからず、「失われた地平線」は絶版との事、それではと西宮市立図書館から借りてくる。長々としたプロローグがあるのだが、第一章の書き出しは次のとおり。「五月の第三週に入ってから、バスクールの情勢がひどく悪化してきて、二十日には、白人の居住者たちを疎開させるために、ペシャワールと連絡を取った結果、英国空軍の飛行機が数台到着した。白人の居住者は約八十名と算定されていたが、その大部分が軍の輸送機で無事に山脈を越えて疎開を完了した。その折にはいろいろと機種の違う航空機が用いられたのだが、それらの中にはチャンダポールの回教君主が提供してくれた旅客機も含まれていた。午前十時ごろ、この旅客機に四人の乗客が搭乗した。東方伝道会のロバータ・ブリンクロウ女史と、合衆国市民のヘンリ・D・バーナード、英国領事のヒュー・コンウェイと、副領事のチャールズ・マリンソン大尉とである。」
北のペシャワール(カブールに近いパキスタンの町)でなく、東へ東へ向い、カラコルム崑崙山脈・ヒマラヤを越えて飛んだのだが、不時着したのがこの中甸かどうかはもちろん書いてない。しかし、松賛林寺というラマ教大寺院が町はずれにあり、四人が拉致されて何年か過ごしたのはこの町だと、観光に活用するのに持って来いなのは十分うなずける。あまり遠過ぎて訪ねる事もあるまいが、旅行ガイドを見ながら、そんな絶版のユートピア小説を読んでみるのも楽しいものである。