占領政策の実相                

「日本人はなぜ戦後たちまち米国への敵意を失ったか」という長たらしい変わった題名の本がある。西尾幹二と「路の会」がH.14.8に徳間書店から刊行したもので、「先の大戦で80万の日本の民間人がアメリカの無差別爆撃・原爆投下で殺害された。しかし、戦争が終わるとたちまち日本人はこの事実から目を背けた。そして日本中が国をあげて当時もそして今も、アメリカ一色、アメリカに学べ式の、絶えずアメリカを意識する以上にはいかなる他の国をも意識しない一方的な過剰関心を示し続けて来た。これは戦後の特殊な現象である。」という問題意識で貫かれている。
  占領政策の実相ということでいくつかの事実が紹介されているが、まず(1)国家溶解の始まり、として、ミラン・クンデラの「笑いと忘却の書」が紹介され、要するに「一国の人々を抹殺する為の最初の段階は、その記憶を失わせる事である。その国民の図書、その文化、その歴史を消し去った上で、誰かに新しい本を書かせ、新しい文化を作らせて、新しい歴史を発明させる事だ。そうすれば間もなく、その国民は、国の現状についても、その過去についても忘れ始める事になるだろう。」だそうで、その通りの事が占領下の日本で行なわれたというのだ。戦後の日本では、問題とされた本が焼き捨てられ、伝統文化が否定され、「大東亜戦争」という日本人の歴史が消し去られ、「太平洋戦争史」という新しい歴史が強要されたというのである。この原典は「平和と戦争」という1943年に米国務省がまとめた米国史観がベースになっていて、もちろん一方的な日本侵略史観である。
  次は(2)精神的武装解除である。日本人に贖罪意識を植え付ける為の占領政策なのだが、ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラムとして昭和20年10月2日に発令されている。その基本規定は「各層の日本人に、彼らの敗北と戦争に関する罪、現在及び将来の日本の苦難と窮乏に対する軍国主義者の責任、連合国の軍事占領の理由と目的を、周知徹底せしめる事」となっていて、具体的施策が掲げられているが、一言で言えば、「侵略戦争」の責任者を処罰する東京裁判は「倫理的に正当」であり、又「侵略戦争」には「国民自身も共同の責任がある」事を明示する事にこの計画の主眼があったと言う。
  さて私自身当時は国民学校2年で何とも記憶にないが、著者の調査では「占領軍が東京に進駐した時点では、日本人には全くと言ってよい程戦争についての罪の意識が見られなかった。敗北は偏に産業・技術的な立ち遅れと原子爆弾によるものであると広く信じられていた。」と言う。又9月6日の朝日新聞には「終戦議会録音」として、「戦ひは済んだ。しかし民族のたたかひは寧ろこれからだ、世界正義と民族の名誉をかけた武器なきたたかひは、世界人をして我等の立場を正当と是認せしめるまで続けられなければならないのである。」とあると言う。超国家主義とか軍国主義というのもGHQのネーミングだそうだし、占領軍により広範囲に徹底して行なわれた検閲を思い起こさせられると、精神的武装解除が大成功だったのだなと58年後の今でも戦慄する思いである。腹立たしく残念な事である。