何時になったら普通の国になれるのか      

中央公論新社2001年発行の<日本の近代6>「戦争・占領・講和」は日本政治外交史・日米関係論専攻の神戸大学法学部教授五百旗頭真氏の書き下ろしであり、420ページで日米開戦の1941年から戦後10年の1955年迄を対象とするバランスの取れた公平な内容の良書である。プロローグ「紀元2600年」と真珠湾、から始まり、日米開戦・敗戦の方法・戦後体制へ・歩みだす日本・保守政治による再生と続くのだが、ここではエピローグ「五十五年体制の成立」に焦点を当てて著者の歴史解釈を要約しつつ私の感想を述べさせて頂く。
 まず戦後日本の政治社会であるが、米国による日本大変革事業開始・その途上での冷戦発生など種々の事態の進行の中で、順次三つの体制が重ね合わされ十数年掛けて固まって来た、という。第一が1947.5.3施行の憲法体制(自衛権を否認していないが非軍事化と民主化が二大目標)、第二が1953.4.28発効の対日平和条約・日米安保条約に基づくサンフランシスコ体制(米国による安全保障を選び冷戦下で西側の一国として再出発。本格的再軍備に向かわず経済第一主義で行くと決心。)であり、第三が五十五年体制(1955年秋の社会党統一と保守合同)である。さて保守合同迄のいきさつであるが、6年続いた吉田自由党内閣に代わって1954年に鳩山民主党内閣が成立し、翌55年に総選挙が行なわれて鳩山民主党が第一党になった。とはいえ過半数には遠く及ばず、一方左右社会党は大幅に躍進し三分の一の壁を破って再統一を果たした為、経団連を中心に保守合同が強く求められる中、保守勢力を糾合した新党・自由民主党が出来上がった。この合同の意味の第一は反吉田大連合の成立であり、第二は公職追放解除復帰組による前述の憲法体制及びサンフランシスコ体制の担い手への反撃でもあった、という。
この激しく入り乱れての政争ゲームを整理すれば以下の三つに大別される、と言う。(A)社会民主主義の路線、(B)日米基軸のもとで経済国家として再興を図る路線、(C)改憲再軍備により自立した伝統的国家を再建する路線。 初期占領日本改革の中で(A)が急成長し、次に(B)の吉田内閣が六年間君臨したが、1955年に(B)(C)が大同しつつ主導権は(C)の鳩山や岸に移行しようとしていたのである。もし彼らが改憲再軍備を実施すれば、日本は憲法体制を独立後数年にして精算し、やがて自前の軍事力を擁するパワーとなり、廃止を含む日米安保体制の改変が検討される事になっていただろう。だが実際には内政・外交の両側面からそうはならなかった。内政面で言えば、使命感に満ちて戦う岸首相の先見性のあるリーダーシップを、残念ながら、戦争に倦み悔やむ当時の国民は理解する事が出来なかったし、(C)への移行に48年を掛けても未だに成功していない。
なぜこんな情けない国民に成り下がってしまったのか。最近、「骨抜きにされた日本人」(検閲・自虐・そして迎合の戦後史)という興味深い著書を発見したが、私の疑問点に少しでもヒントを与えてくれるかも知れない、と期待している。しかし、昨今の世界情勢、特に東アジア情勢を思えば、残された時間は多くないと私は考えるのだが。