国のあるべき姿に覚醒し始めた日本        

  平成14年4月26日の産経新聞正論欄に、「主権回復50周年」の記念日に、と題する東京大学名誉教授小堀桂一郎氏の主張が掲載されており、その要旨は次のとおりである。 「今年も4月28日が近づいて来た。昭和27年のこの日はサンフランシスコ平和条約が効力を発生し、6年8ヶ月にわたった米軍による軍事占領の屈辱から開放された日であり、真の終戦を実現し得た終戦記念日とすべき日だ。 この占領期間中に我が日本が国政と国民精神の上に蒙った傷は実に根深く、我々は今なおこの後遺症に苦しめられている。 何よりもの問題は、米軍の占領政策基本綱領に過ぎない現行日本憲法を、占領終了と同時に廃棄しておくべきだったにも拘わらず、これを怠った事である。 その結果が靖国問題拉致問題・歴史教科書問題始め諸々の禍をもたらしていると言えるが、国民に国家主権の尊厳への認識と、主権国家の民としての矜持が確乎として存したならば、事態をここまで悪化させずに済んだであろうにと悔やまれる。」
  同年11月の同紙同欄の「醜い、韓国の「反日」と日本の「反米」」と題する明治大学教授入江隆則氏の主張は次のとおりだ。 「中国と北朝鮮独裁国家であり、国家統治の必要性からも日本への憎しみと敵愾心をたたきこみ、各地に抗日記念館を作って反日宣伝に余念がない。 韓国の場合は事情が異なっていて、1910年の韓国併合以降の日本への恨みが草の根の大衆怨念として存在している事による反日だ。 当時の李朝末期の韓国内がどれほど腐敗を極めていたかとか、併合に拠らなければ韓国の近代化は不可能だったとか、いくら言っても聞く耳を持たない。自分の事を棚に上げて他国のせいにしていると言う意味で、韓国の反日は醜いと言える。同じように醜いのが日本の「反米」である。 敗戦と占領が日本人にもたらした諸々のわだかまりが反米の理由なのだが、しかし改正すべき憲法を半世紀にわたって放置しているのは日本人自身であるし、また何よりも大切な国防をアメリカ任せにして経済大国の花見酒に酔っていたのも日本人自身だった。」
  平成15年5月の帝塚山大学名誉教授伊原吉之助氏の「反日はびこる不思議の国ニッポン」の要旨は「日本国の根幹に対する共通認識がなく、国家の中枢に反日的意見の持ち主が居据わり、国家の弱体化を目指しているという由々しき問題がある。 国旗・国歌を拒否する教師を雇うなど反体制派が公務員にもぐり込み、北朝鮮にたいしても脱税、送金、スパイ自由で米支援までして来た。抗日愛国主義で国をまとめる中国に莫大なODAを垂れ流したまま。 しかし平成不況の頃から国民もやっとおかしいぞと気付き始めた。最初の兆候は平成7年の青島幸男横山ノックの当選であり、最近の田中康夫のリコール後の再選だが、これらは既成政治集団拒否・既成利権屋断固拒否の意思表明だ。 危機は自覚すれば対応できるが自覚しなければ皆一緒に滅びるほかない。 今は日本生き延びの最後の機会のように見える。」
  そして最後は昨日の正論の、杏林大学客員教授田久保忠衛氏の、掲題の主張だ。 「小泉首相の内閣再改造は安倍・石破・中川・小池氏ら拉致議員連盟の若手を登用し、国民の大方は賛意を示した。一方これらの人々の活動に必ずしも好意的で無かった野中・中山氏らは政界を引退する。 口にするのも憚られた改憲についても、ここ十年の間に国民の気持ちはゆっくり正常に向かって旋回を始めた。一般国民が覚醒し始めたのだ。 小泉首相は人事で示した新しい路線を変えてはならない。 今こそ日米同盟を利用してストロングジャパンを目指す大局を見失わないで欲しい。」 いずれも同感である。