三徳山三佛寺投入堂(ミトクサンサンブツジナゲイレドウ)  

新聞の生活面に作家出久根達郎氏が次のように書いている。「鳥取県三徳山を登っていると、遠くから鐘の音が聞こえて来た。 音は頭上から聞こえて来る。 何と岩尾根に立派な鐘楼が建っている。 登山路にはこの鐘楼の他、納経堂・観音堂・元結掛堂などがある。 最後に国宝の投入堂が出現する。 崖を回った途端前方の絶壁に清水(キヨミズ)の舞台を小さくしたような建物が忽然と現れる。・・・」 この記事に惹かれて私たちも出掛けてみた。
 三徳山岡山県津山市の北方、日本海の海岸から南へ15kmの鳥取県中部にあり、麓の標高250m、頂上は900m、山塊は脆い凝灰角礫岩に覆われている。 三徳渓谷が西方に向かって開いている為、シベリヤからの冬の季節風をまともに受ける豪雪地帯である。駐車場に車をおいて階段を登るとすぐ三佛寺だが、本堂の後ろに登山道の入り口がある。 投入堂の標高は470mなので約200mを登るのであるが、白襷をもらい「2時間で十分帰って来れるでしょう」と言われてスタートした。 かなりの急登なので樹木やその根を掴んで殆ど四つん這いで進むが、降りてくる人も多くてすれ違い方も一工夫要る。 アカガシ・ブナ・トチノキシャクナゲなど鬱蒼とした森を行くと、いくつかのお堂を過ぎて最後に投入堂が出久根氏が言うように忽然と現れた。
 ホームページに「投入堂物語」があって要約すると次のようになる。 「昔々の話、大和の国の葛城山役小角(エンノオヅヌ)と言う修行僧がいた。 ある日、役小角は三枚のハスの花びらを「神仏の縁の在る所に落ちよ」と空高く投げると、一枚が三徳山へ舞い落ちた。 役小角が行ってみると、険しく切り立った崖の岩山にぽっかりと大穴が開いていたので、そこにお堂を建てようと思った。 役小角は完成したお堂の中に蔵王権現をお祀りし、座禅を組んでお経を唱え、お堂に触れた瞬間、なんと大きなお堂を持ち上げてしまった。 えいっと掛け声と共にお堂を放り投げると、お堂は山の上の洞穴にぴたりと収まった。」
 私の推測は次の通り。 もろい凝灰岩なので崖に穴をくりぬくのは可能だろう、作業スペースがある程度確保出来ればお堂を穴の奥に収められる、お堂を支える柱を順次設置しながらお堂の前や下の凝灰岩を崩してゆく。 こんな風に考えれば何と言う事もないと思うが、文化庁調査官の書く解説書には「三佛寺奥院の投入堂は、人が容易には近づけない絶壁の窪みに建っている。 柱は一本一本長さが異なるし、屋根の形も大変複雑である。 どのような骨組みになつているのか、またどうやつて組み立てられたのか、足場はどうしたのかなど疑問は後を絶たない。」とある。ちょっと素人っぽくはないか。
 大正四年の大規模な解体修理の際に出たこの投入堂の古材を年輪年代法で最近調べたところ、平安後期に伐採された材木だと判明しているようだが、役小角は大和の茅原(御所市)で賀茂家に誕生、634年から701年の在世と言うから、役小角投入堂の材木とは400年近い年代差がある。 にも拘わらず、706年創建、開祖は役行者小角、小角の投げ入れた奥の院、とはどうした事か。 詰問したいが、あまり理屈っぽくならない方がいいかな。