二十一世紀の日本の国家論

  
「あうろーら」という季刊誌の最終号(2000.7)に、坂本多加雄氏(昨年若くして死去された)の掲題の論説がある。 全く同感であり、昨今のTVによく出て来る社民党のおばさん連中に読ませたいといつも思っています。 下記はその要旨。    
  読売新聞のアンケート調査(2000.1)によると、「国籍や国の枠にとらわれず生きていきたい」とする傾向が特に若年層で増大している、ある女性の回答は「戦争の無い時代に生まれた私たちは国籍を意識せずに育ったと思う。」だと報じている。 この発言はそのままでは端的に誤りである。 すなわち、世界に「戦争の無い時代」が訪れた事はこれまで無く、現に世界の大部分の国々はこの半世紀、実際に戦争を体験するか、激しい他国との対立を実感して来ている。 こんな脳天気な事を言っているのは日本人の中の「私たち」だけなのではないか。 「日本」だけの現実をそのまま世界を含んだ「時代」の動向だと語る事で、内外の事情についての単なる無知と想像力の欠如を露呈している。 
  もっとも昨今の改憲論の盛り上がりに見られるように、こうした戦後の平和主義そのものには翳りが生じつつある。 そうした中で、EUの例やボーダレス経済化などを引き合いに出し国家の相対化を論ずる向きもあるが、それもやはり、現実の直視を避け一方的な思い込みによる想像力の不足を露呈するものである。 
  確かに二十一世紀には、国家の役割やその相互関係のあり方には変化が訪れるであろうが、しかしその事は、国家という枠組みが無くなる事を意味しない。 国家の相対化を説く前に、日本の眼前で繰り広げられている東アジアの情勢を率直に眺めれば、中国の軍拡や北朝鮮による日本人拉致や核武装など、むしろ国家の根本的な存在意義を切実に考えねばならない状況が展開している事は否定出来ない。 改めて振り返ってみれば、日本が初めて国家と呼び得る組織体を整えたのは律令国家が成立する時期であり、それはとりもなおさず隋・唐という帝国の成立により、朝鮮半島の状況が大きく動揺し日本も危機的な情勢に見舞われた時代であった。 またもう一つの国家建設期である明治維新期も、英露の進出によりユーラシア極東部が不安定化した時代である。 
  戦後半世紀は対外的危機が一見遠のいたように見えたが、冷戦の論理に即した圧倒的なアメリカ軍の極東でのプレゼンスに依存して、日本は平和主義と国家相対化の夢想に耽っている事が出来たに過ぎない。しかし今日の中国や北朝鮮の動向は、この両国に対しては、単にアメリカに依存するだけでなく、日本独自の国家としての対処の仕方を考えねばならない事を予感させる。 というのも中国の軍拡も北朝鮮の核開発も、直接にはアメリカというよりも、韓国や台湾と並んで、さしあたり日本が最も切実な脅威を感じる立場にあり、特に北朝鮮による日本人拉致は正しく日本が国家として独力で解決しなければならない問題だからである。 とすれば二十一世紀こそ、幸か不幸か日本の国家論を根本から組み立て直さねばならない時期のように思われる。