対論−日本とアメリカ                  

掲題の書名は、長い間日本外交の中枢にあり、退官後も活躍中の碩学岡崎久彦氏と、20才若い阿川尚之氏との対談書(廣済堂出版 2002)であるが、その第六章:占領時代と東京裁判を考える、は私の今の読書の中心テーマでもあり、以下にその章の要点を記す。現代日本の諸悪は占領初期の行き過ぎたGHQの政策に基因する、というのが、辿り着きつつある私の結論なのだが、本書も私の思いにかなり近い内容である。その諸悪の根源に洗脳された世代が去って我国の歴史に学ぶ新世代の登場が今期待されるのである。
1) 占領時代は意外に大事、結局、日本人というものが敗戦よりも占領でガラッと変わ     ってしまう。それなのに、占領時代はまだ本当は解明されていない。占領軍の検閲と戦後日本について江藤惇は「閉ざされた言語空間」(文春文庫)を、膨大な資料をもとに執筆したが、日本人を骨抜きにした占領期の施策の解明はこれからだ。
2) GHQ民政部の実務レベルの責任者ケーディス大佐は 「私は過去の日本については何も知らない、知っているのは、日本が東南アジアを侵略して数々の残虐行為を働いた事だけだ」と公言。そんな連中が、日本人を全部改造するんだと、意気込んで来日した。
3) 占領日本に送り込まれた行政官は1930年代のニューディール絶頂期の官僚で、社会主義の影響を受けたかなり左の人達。ソ連に対する親近感さえ持ち、共産主義に対する警戒意識が薄かったのが敗着で、日本の左翼を勢いづかせてしまった。
4) 我国の方もポツダム宣言受諾から新憲法制定までの時期、九条などどうでもよく、天皇制護持が絶対的課題だった。上層部は日米共に如何に天皇制を残すかを考え、憲法一条と九条の取引が出来た。そうでなければ、天皇戦犯ないし日本の共産化がかなりあり得た。
5) その後例えば鳩山首相憲法改正しようと考えてもなかなか出来ない。当時の新聞とか雑誌の言論を見たら、憲法改正を言うだけでものすごい勇気が要った。変えた方がいいって平気で言えるようになったのは、ここ数年の話、長い呪縛の年月だった。
6) マ司令官の指揮で行なわれた東京裁判は、過去の日本はみんな悪かった、という歴史観。 満州事変の後でも中国との間に協定が一応あって、収拾されている、今更文句言われる事など何も無いにも拘わらず、改めて裁判して侵略だと言う。裁判の過程がインチキだから、世界各国の法曹人も含めていまだに誰も納得していない。しかし、日本の左翼は諸手を挙げて、これを歓迎した。
7) 六十年安保騒動時の学生は講和条約が出来た後に教育を受けた連中、あの頃は日教組が一番強かった時で、日教組教育の影響を強く受けた。しかし、あの頃の先輩の社会人はしっかりしていて、入社した新人は途端に叩き直された。ところが七十年安保をやった連中が社会に入ってみたら、上司が皆六十年安保の残党。その残党が依然としてトラウマのように各新聞やテレビに残っている。久米・筑紫・田原・・・・・