着実に進む台湾人の台湾           

  平成5年6月の一週間ほど、日本の各分野の技術者の一人として台湾を訪れた事があり、その際団体で、日本語ぺらぺらの李登輝総統にお目にかかり、「日本の政治家より日本の新聞雑誌をよく読んでいるよ」と溌剌と話す総統を間近にし、最後に握手をしてもらったりで、特にそれ以来私にとって台湾は一段と気になる存在となっている。
改めてその歴史を概括すると、16世紀以前はマレー・ポリネシア系の原住民ののどかな島、1624年オランダ東インド会社が台湾南部に進出、1661年鄭成功(父福建人・母日本人)を盟主とする武装集団がオランダを追放して進出、1683年清国が攻撃し鄭氏政権は崩壊、清朝は台湾を福建省の下におく、1874年日本の台湾出兵、1895年下関条約清朝は日本への割譲決定、初代台湾総督・樺山資紀、2代桂太郎、3代乃木希典と続き19代で日本敗戦、となろうか。 戦後は、1949年蒋介石台北に言わば疎開、翌年総統に、1975年蒋介石の死亡で息子の蒋経国が国民党主席、1978年蒋経国が総統、1984李登輝が副総統、1988年蒋経国の死亡で李登輝が総統に昇格、1996年初の総統直接選挙で李登輝当選、2000年陳水扁総統当選、李登輝国民党主席辞任、2004年陳水扁の今回の再選?。
戦後一貫して台湾を統治して来た国民党から、2000年選挙で民進党は政権を奪ったものの、立法院では少数派で言わば捩れ現象が続いているのだが、民進党の‘96総統選での得票率は21%、4年前の前回は39%、今回は遂に50%を越えたのであり、2300万人の台湾の民意は明らかに自立へと動いていると言えよう。 産経の古森記者は「今回の選挙戦での最大の特徴は一般住民、特に若い世代の間での台湾アイデンティティーの高まりであり、国民党の基本の「一つの中国」路線をすっかり後退させてしまった」と書き、同紙社説は「陳総統を台湾独立派と非難してきた中国は、今回の結果を歓迎出来ないだろうが、中台問題の平和的解決は最早台湾の民主主義、主流民意の尊重なくしては有り得ない事が確かとなった」と述べている。
50年間の日本統治では当初台湾人の抵抗反乱も激しく、鎮圧の為に虐殺もあったが、?鉄道・水道・電気・道路などインフラ整備が進んだ、?全住民を対象に初等教育が普及した、などの貢献も多かった。台湾を知ろうとすれば、司馬遼太郎の「台湾紀行」に如くはなしと思うが、1927年台湾生まれで現在台湾財界で著名な蔡焜燦(さいこんさん)氏の著書「台湾人と日本精神」(平成12年)副題:日本人よ胸を張りなさい、も日本統治時代の話題が豊富で興味深い。第2章が「台湾近代化の礎を築いた日本統治時代」で、まず民生長官としてインフラ整備や衛生医療の改善などに寄与した後藤新平、10万Kwの水力発電事業を完成し台湾の土となった明石総督、などが出て来るが、有名なのは何と言っても、総督府土木課に勤務し、着工から十年かけて潅漑土木プロジェクトを完成させた八田與一であろう。毎年5月8日の命日にはそのダムで地元の人々の手による慰霊祭が行なわれると言う。日中友好も大事だが、日台も運命共同体的に繋がっている事を忘れたくない。