近現代史

「教育勅語」誕生の経緯(2)

井上毅は勅語の草案執筆に際し、留意すべき以下の七点を挙げている。 1. 立憲君主制のもとにあっては、天皇と言えども「臣民の良心の自由に干渉せず」であるから、教育の方向を示される勅語については「政治上の命令と区別して社会上の君主の著作公告」と位…

「教育勅語」誕生の経緯(1) 

國學院大學講師・高森明勅著「天皇から読みとく日本」(扶桑社2002)の一節に「意外な教育勅語誕生のドラマ」があるのを図書館の立ち読みで見つけ、大変興味深くその骨子を記す事にする。 (1) 江戸時代はそれなりに経済的・社会的成熟水準にあったのだが、幕末…

吉田茂の影の参謀・辰巳元中将

湯浅博著の新刊「吉田茂の軍事顧問・辰巳栄一」(産経新聞出版2011.7)の、私にとってのエッセンスを記す事にする。氏の略歴は「大正4年陸士卒業、同14年陸軍大学校卒業、昭和8年関東軍参謀、同11年英国大使館付武官、同17年東部軍参謀長、同20年第3師団長(南寧)、…

自民党立党時の政綱

吉田首相の「軽武装・対米協調」に反発して1954年に自由党を徐名された岸信介は、11月に鳩山一郎と共に民主党を結成した。’55.2の総選挙で民主党は第一党になったが過半数に至らず、岸は保守合同を主導して’55.11自由民主党を成立させ、初代幹事長になった。…

中国の脅威

掲題は昨年末ワック(株)から刊行された古森義久著の書名だが、これはアメリカ議会の超党派の常設政策諮問機関「米中経済安保調査委員会」が、長い時間と膨大なエネルギーを投入して続けて来た中国についての調査の、2008年度報告(2008.11公表)の要旨である。…

この命、義に捧ぐ

門田隆将著・集英社の掲題の新刊は感動のノンフィクションである。主人公・根本博中将の略歴は、明治24年福島県生まれ・陸軍幼年学校/士官学校/大学校卒業・南京/上海/満州に駐在・S19年駐蒙軍司令官・S21年復員・S24年台湾へ密航し金門戦争参画・S27年台湾…

米国との対等な関係

産経新聞朝刊に「ハロランの眼」というコラムがあります。執筆者はリチャード・ハロラン氏で、氏は1960〜70年代にワシントンポスト紙やニューヨークタイムズ紙の東京支局長を歴任したようですが、今年80歳で、現在はハワイに在住し執筆活動中のようです。日…

自分の国は自分で守る

普天間基地移設問題での最大の論点は、「自分の国は自分で守るべし」という至極当たり前の世界の常識が、全く忘れられている点にあると私は考える。米軍に引き上げてもらうなら、その空白を埋めるべくまず防衛費を増額し、日本軍の強化が成った後「長い間我…

解読されたソ連の暗号とスパイ活動

二人の米国人歴史家による[Venona:Decoding Soviet Espionage in America]が1999年に出版されたが、その日本語版「ヴェノナ」が中西輝政氏らによって翻訳され今年PHPから出版された。「ヴェノナ」とは1943年、米陸軍によって始められたソ連暗号の傍受・解読…

日本は中国の属国になる

掲題は、長らく防衛庁防衛研究所におられ、中国軍事力研究の第一人者・平松茂雄氏の新著(海竜社2009年12月)の書名で、第一章「日本の海を呑み込まれても中国に無策な日本」、第二章「核ミサイル・宇宙開発で世界の大国に成長した中国」、第三章「融通無碍な…

ポーランド孤児(敦賀その2)

敦賀三山の一つ野坂岳山頂から北方を望めば、コンパクトな平野部と静かな市街地、その先に敦賀湾が見え、それを他の三方の山岳が取り囲んでいる事がよく分かる。事前の調べでは、敦賀は1882年日本海側で最初に鉄道が開通(敦賀―長浜)し、1899年に開港指定され…

思い起こしたい「幻の映画」

先の大戦終了間際に旧ソ連軍は不当にも、突然日ソ中立条約を破棄して南樺太に攻め込み、侵略行動を続けたのだが、電話交換嬢9人は、非常時の電話通信の重要性に鑑み最後迄職場に留まり、青酸カリ服毒自決した話は、言われれば「そんな事があったな」と微かに…

日本人よ、矜持を持て――その2

元外務次官・村田良平氏回想録の最終章第3節以降第9節迄の主要な部分を私なりに要約しておく。 1. 過去の日本の戦争についての評価 当時の全世界的雰囲気として、(1)欧米人は全面的に人種主義者であり、有色人種というだけで日本人は差別された。(2)明治維新…

日本人よ、矜持を持て――その1

昨年9月発刊の、元外務次官・村田良平氏回想録の最終第14章は「日本人よ、恥を知り、矜持をもて」なのだが、「かつては自尊心高き民族だった日本人が、何故かくも矜持を失ったかの根源は、60年以上前の米国の日本占領にある」という日頃からの私の思いと同じ…

教科書が教えない昭和史

文藝春秋四月号に34頁にわたる掲題の討論が掲載されているが、戦後ずっと旧日本軍糾弾の主流派だった半藤一利・秦郁彦(79・77歳)に対し、戦後生まれで予断なく近現代史を勉強して来た中堅・若手の北村稔・別宮暖朗(61・61歳)・福田和也・林思雲(49・46歳)が…

村山談話の虚構と欺瞞

昨年末からメディアで取り上げられている田母神前航空幕僚長の更迭だが、その最大の理由は、彼の論文が、政府見解となっている「村山談話」に反すると言う事らしく、私なりに復習して見た。 宮沢喜一内閣に代わって非自民の細川内閣・羽田内閣が続いた後、自社…

明治人柴五郎の生涯

掲題は村上兵衛著「守城の人」(光文社1992、文庫本2002)の副題、文庫本では774頁にもなる大著だが、現代史の復習には恰好の名著であり読書の秋に相応しく一気に読了した。筋書きがほぼ推測出来るので、目次を適宜選んで記すと、会津武士の子・鳥羽伏見の戦い…

 靖国参拝是非論の結末                        

電撃的な安倍首相の中国訪問だったが、「戦略的互恵関係」というこれまでの「失われた」五年間を忘れさせるような言葉に中国側が即座に応じるところまで交渉は熟していたようで、それには水面下で早くから中川秀直(現自民党幹事長)、二階俊博(現自民党国対委…

東京裁判法廷                     

現在防衛庁は市ヶ谷台にあって、その一角には東京裁判の法廷として使われた大講堂が保存されていて見学が可能と聞き、電話(03-3268-3111)申込で予約し、10月25日午後(13:30〜15:40)の見学ツアーに参加した。集合は市ヶ谷本村町にある防衛庁正門で、運転免許…

小泉首相の靖国参拝                    

中国の呉儀副首相が小泉首相との会談を突然中止して帰国した事など日中間の摩擦について、米国大手紙ウォールストリート・ジャーナルは「小泉氏の土下座拒否」と題した社説で、中国からの靖国神社参拝中止などの対日要求を「横柄」と批判し、呉副首相の言動も中国側の圧力…

対中謝罪は不必要                    

胡錦涛政権に変わって「対日新思考外交」が打ち出されそうな気配が伝えられたのは丁度2年前だったが、その頃の産経新聞切り抜きを取り出して見てみると、その中に「ロシアのサンクトペテルブルクで開かれた日中首脳会議で、胡錦涛国家主席は小泉首相の靖国神社参拝など…

松代大本営象山地下壕                       

真田藩十万石の城下町「松代」は上信越自動車道「長野IC」の南に位置し、信州松代観光ガイドによればここの目玉は三つ、?真田邸・真田宝物観など、?佐久間象山の生地にある象山神社・象山記念館、?長野高校出身の国際アーティスト故池田満寿夫の美術館、のようであ…

Weehawkenの慰霊碑に思う               

5月23日(日)、前日泊まったニューヨークミッドタウンのKITANOHotelを朝9時に知人の運転で出発して、今までは中々行けなかった郊外を回るつもりでまずニュージャージーへ。リンカーントンネルを通ってハドソン河沿いを行くと高台の閑静な住宅街となり、小さな…

着実に進む台湾人の台湾           

平成5年6月の一週間ほど、日本の各分野の技術者の一人として台湾を訪れた事があり、その際団体で、日本語ぺらぺらの李登輝総統にお目にかかり、「日本の政治家より日本の新聞雑誌をよく読んでいるよ」と溌剌と話す総統を間近にし、最後に握手をしてもらった…

日露戦争開戦100年             

東洋の小国による戦勝は、清朝打倒を目指す孫文ら中国の革命運動などアジアの覚醒をもたらす一方、満州の権益を手にした日本が大陸へとのめり込む運命の岐路となった、と言われる日露戦争だが、今年開戦100年を迎える。この記念すべき年に、種々の切り口で議…

日中接近が最重要?続          

中国側の対日姿勢変化の兆しが産経新聞で報じられて、それは結構な事であり歓迎!と「日中接近が最重要?」(H.15.6.22)に書きましたが、その際今まで対中平身低頭でやって来たメディアはこれからどうするのだろうかと皮肉を付け加えて置きましたところ、数…

日中接近が最重要?               

少々古いが昨年10月29日付産経新聞の「江主席発言は非礼な言辞」と題する主張の要点は次の通りである。「APECを機とする日中首脳会談で、江主席はわずか45分の間に小泉首相の靖国神社参拝への抗議と参拝中止の要求を三度も執拗に繰り返した。(中略)。中国…

年末土佐旅行(その三)

四国に行ったら最後の清流四万十川まで足を延ばしてみたいと誰でも思うのではないでしょうか。高知県東津野村不入山(いらずさん 1336m)に源を発し、蛇行しながら多くの支川を合わせ、流路延長196km(四国第一、全国第十一位)を経て中村市下田か…

年末土佐旅行(その二)           

すっかり暗くなってしまったがその日のうちに足摺岬から高知市に戻る。翌早朝、まず高知城を訪ねる。追手門から入って板垣退助像の脇の石段を登ると「千代夫人と馬」の像に出会い、更に行くと二の丸跡の広場で、天守閣と本丸正殿に入れる筈だが生憎年末休館…

年末土佐旅行(その一)            

軽登山の実績を増やすべく四国の石鎚山(1982m)と剣山(1955m)にあいついで登ったのは4年ほど前であった。四国北部にはある程度高速道路が出来ていたが、登山口近く迄の道路は狭く、すれ違いもどちらかが一旦バックするという個所が多く、中々大変だと…