靖国参拝是非論の結末                        

電撃的な安倍首相の中国訪問だったが、「戦略的互恵関係」というこれまでの「失われた」五年間を忘れさせるような言葉に中国側が即座に応じるところまで交渉は熟していたようで、それには水面下で早くから中川秀直(現自民党幹事長)、二階俊博(現自民党国対委員長)らが動いていたようだし、何よりも安倍首相の意を体して自ら異例の水面下の交渉に当たって来た谷内正太郎外務次官の尽力と外務省の根回しの成果と言っていいと言われている。前外務省報道官で現在も外務省参与、学習院大学で麻生外務大臣と同期生だったと言う高島肇久(ハツヒサ)氏も「結局は中国が、靖国を政治問題にしないという日本側の主張に折れたわけであり、日中経済が崩れるのを何としても中国側が避けたかったのであり、それが天安門での大歓迎式典と久々の首脳会談となった」とある講演会で述べていた。以前は反体制的な言辞が多かったと記憶している元日経記者・現早稲田大学教授田勢康弘氏までもが、日経新聞11月20日朝刊コラムに、「日本ゼロ年」の安倍外交、と題して、大変正直に安倍政権のスタートを高く評価している。曰く、「これまで18人の新首相誕生を見てきたが、これほど「見間違えた」のは初めてである。不明を恥じるしかないが、10月8日の日中首脳会談実現で、この政権は期待された使命の半分は果たしたと評価してもいい」と。
 これに対する翌日21日朝刊の「日中関係――改善の流れを大切に」と題する朝日の社説の内容は憐憫を禁じ得ないものであった。曰く「日中両国の関係の改善に弾みがついてきた、安倍首相の初訪中から一ヶ月余ハノイで両国首脳は再び顔を合わせた、東シナ海のガス田の共同開発をめざしての協議に期待したい、歴史認識に関して共同研究が進められる予定だ、胡国家主席ら中国主席の訪日も視野に入ってきた、弾みのついた関係改善の流れを大切にしていきたい」などと述べ、「ここまで好転したのも、靖国神社参拝で安倍首相が慎重な姿勢を取ってきたからだ」と書く。安倍氏の「参拝したかしないか、参拝するかしないかは申し上げない」とのスタンスに対し、「曖昧なのはけしからん」と折りにつけあげつらって来たのは誰だったのか。安倍氏が主張を引っ込めると思って最後の最後迄「不参拝を確約せよ」と中国側は粘った、「そんな確約は出来ない」と安倍さんも交渉破綻を覚悟しつつ筋を通した、このような「主張する外交」を知らないわけではないのに、朝日新聞は自分の主張に安倍氏が従ったが為に中国が訪中を受け入れたかのように書く。こんなメディアは情けない限りであり、冒頭の田勢教授は立派で微笑ましいと私は考える。
 情けないのはメディアだけでなく、経済界の一部も同類なのが居て、本年5月には経済同友会(代表幹事・北城恪太郎)は、国益を害するとして小泉首相靖国参拝中止を求めた。相手が嫌がるなら小泉さんも止めておけばいいのに、というミーハーおばさんはさておくとして、多くの知識人も国益に反するとして参拝に不同意だった。最も批難されるべきはいわゆる媚中派と呼ばれる政治家であり、左翼政党はさておき、自民党橋本派こそ糾弾さるべきであろう。PHP新書最新刊「凛とした日本―ワシントンから外交を読む」の中で古森義久氏は、「橋本派瓦解で変わる対中外交」を論じ、「外務省中国専門外交官達が中国に過剰な配慮を払う政策を推進して来たが、彼らがいつも頼りにして来たのが橋本派親中派領袖達(後藤田正晴野中広務橋本龍太郎ら)だった、小泉改革によって橋本派ががたがたと崩れてしまった事が自民党の対中政策を変質させ、外務省のチャイナスクール集団に迄影響を及ぼした」と書いている。これらに対し、国益を失って損害を受けるのは先方であり、我国は泰然自若として居ればいい、原則で譲ってはならない、と主張し続けたのは唯一産経新聞であり、ワシントンにあって獅子奮迅の活躍をした古森義久記者であった。既に崩壊した連中を糾弾する必要もあるまいが、つい先日まで国益を害するなどと声高に小泉・安倍を批難していた評論家は、最低一年はメディアに登場しないと自ら宣言して頭を丸めてはどうだろうか。言論人は自らの発言にその程度の責任を持つべきであろう。