5 大雪山を歩く  

                                    
 大雪山国立公園は北海道の中央部に位置し、東西五十km・南北六十kmの範囲内にある。お鉢カルデラ(爆裂火口の凹地)を形成する大雪火山群、今も噴煙をあげる十勝岳を主峰とする十勝岳火山群、然別湖(シカリベツ)周辺の然別火山群、及び非火山性の石狩岳山群など広範囲にわたるため通称「北海道の屋根」と呼ばれ、二千m以上の山々が二十四山もあるが、ここで紹介するのは旭岳を中心とする北西部の、そして秋の紅葉が圧倒的に美しい地域であり、何回かの旅行記録の言わば抄録である。
 
[その一]  層雲峡ロープウェイで黒岳から北鎮岳へ (六月)
六月末の金曜日夜、層雲峡プリンスホテル朝陽亭に到着。層雲峡温泉からスタートして黒岳(一九八四m)・北鎮岳(二二四四m)・旭岳(二二九〇m)を経て再びロープウェイで旭岳温泉へ降りる、と言うのが健脚なら八時間の縦走コースであるが、健脚時間の五割増が我々の今の実力なので、これはちょっと無理。北鎮岳頂上で遥かに旭岳を望んで引き返すのが今回の計画である。
 当日土曜日の朝は五時起床、前夜頼んでおいた朝食・昼食用のおにぎりを受け取って、始発のロープウェイのゴンドラに乗る。その終点は黒岳五合目、リフトに乗り継いで標高一五一〇mの七合目迄上がり、ここからいよいよ標高差四七〇mを、高山植物を愛でながら少々ぬかるみの急坂を登る。喘ぎつつ一時間五十分で到達した残雪の多い黒岳山頂は三六〇度の大景観で、旭岳の方向に向いて右に北鎮岳、左に北海岳があり、北海道ならではの壮大さに圧倒される。ここ迄来るとあとはほぼ水平行であり、キバナシャクナゲの群落の多い「雲の平」を一時間ちょっとで横切ると「御鉢平展望台」に到達する。眼下に亜硫酸ガスの噴煙がところどころ立ち上がる壮観なカルデラ(直径二?)の「御鉢平」が一望出来る。そこからの火口縁沿いの急斜面は残雪に覆われた雪渓なのでアイゼンを装着して行くと北鎮岳への分岐点に出る。案内書にある通りここでザックを置いて三十分足らずの往復である。最初の歩き始めから五時間近く、十一時四十五分にようやくの事で、しかしこれ以上はとても望めないと言っても過言でない快晴の中で、北鎮岳頂上に立つ事が出来た。いずれ縦走する機会があるかどうかを思いつつ、四?先の旭岳を望みながら来た道を引き返す事とする。水平歩行は少々の速歩も問題ないが、黒岳頂上から七合目迄のような急降下は要注意なので慎重に足を運び、リフト駅に着いたのは丁度十五時半で、層雲峡に帰還したのは十七時、昨夜泊の朝陽亭の露天風呂で汗を流させてもらって、今夜の泊まりの旭川に向かった。
  
 [その二] 旭岳ロープウェイで旭岳へ (九月)
前夜、旭岳温泉に宿泊し、昨日頼んでおいた昼食用弁当を受け取って、すぐ近くのロープウェイ駅(標高一一〇〇m)へ急ぐ。このロープウェイは一九六八年の営業開始なのだが、一九九八年から二年がかりで大改装されて百人乗りのゴンドラとなり、標高一六〇〇mの姿見駅迄の所要時間は約十分だ。快晴とは言えないが薄い雲は高くまずまずの天候であり、既にそこは森林限界を越えているので、眼前は広く開け、荒々しい大爆裂火口(地獄谷)の遠方に旭岳の頂上が見える。改めて靴の紐を締め直し七時五五分出発。ガラガラの噴出物の砂礫山道だが、何本も勢いよく立ちのぼる白い噴煙を左手の地獄谷の中に見ながら道は殆ど直登だ。しばらくすると右手十km先にトムラウシ山が、次いでそのまた右手遠方に雄大な十勝連峰が展望出来る。小さな噴煙が微かにたなびいているところの尖がった山が十勝岳だ。子供連れや女性グループが多いせいか、陽射しは無く気温も低いので汗をかかないためか、今回は余り追い越される事が少ないのだが、しかし家内はいつも前方で、こちらは黙々と一歩一歩進む。八時五十二分に標高一九三〇mの七合目、九時二十五分に二〇六〇mの八合目に来ると更に展望良し。二一九〇mの九合目には九時五十五分に到達したが、この頃になると地獄谷から吹き上げてくる強風による冷え込みが厳しい。急いで防寒ズボンを重ねてはく人も居て、こうなって来ると気楽な山登りとはいかなくなる。こちらもさすがに速度が落ちたが最後の急登で十時二十分頂上に立てた。
登りは十勝連峰方面だけだったが、今や視界は全方位で、以前登った北鎮岳やその後方の黒岳もはっきりと見える。「大雪山に登って山岳の大きさを知れ」と大正の文人大町桂月は言ったそうだが、同感だ。頂上は丸く広く沢山のグループが思い思いに山の雄大さを感じているようだったが、余りの冷え込みにこちらは三十分程で早々に下山する事にした。いつもの事だが膝を痛めないよう注意が必要で、滑り易い火山礫でもあり、小股で足元を確認しながら降りる。ゴンドラ駅に十三時帰着。実質歩行時間は四時間強であり、これは登山案内書の標準時間とほぼ同じで今回は大変順調であった。
 
[その三] 黒岳七合目と銀泉台の紅葉 (九月)
大雪山の紅葉めぐりをされた知人から「素晴らしかったけれど、九月末日では少々遅かった」と聞いていたが、今年は九月十八日から三連休だし、丁度良かろうかと出発した。前回は色とりどりの高山植物と登山が目的だったが、今回は長年懸案の層雲峡紅葉探索だ。十三時頃に到着したので、早速ロープウェイとリフトを乗り継いで黒岳の斜面を上がってみる。最初のうちは常緑樹の中に黄葉が混じる程度だったが、終点七合目の展望台(標高一五〇〇)迄来ると鮮やかな紅と黄の混在が見事である。身支度をして大きなリュックを背負い直して一人で正に登山開始の雰囲気の青年がいたので、聞いてみると「今日は黒岳頂上でテントを張りますが、十勝岳までの予定です」との事でこちらはびっくり仰天。その晩地図で調べてみると、ルートは黒岳・北海岳・白雲岳・忠別岳トムラウシ山オプタテシケ山美瑛岳十勝岳忠別岳は少々足りないが他はすべて二千mを越える)の筈で、アップダウンを無視して地図上の距離だけでも五十kmあり、丁度半分行程の黒岳〜トムラウシの表大雪縦走だけでも三日がかりと案内書にはあるので、この青年のルートは大雪超大縦走とでも言うべきロングコースだ。こういう凄いのも居るんだと思いつつ、こちらは写真を撮りながら周囲の紅葉の見事さを確認しロープウェイを降りる。 残念なのは今年の台風であり、あちこちに根こそぎの被害を受けた風倒木や無残に裂けた大木が見られる。一九五四年の洞爺丸台風による被害は壊滅的だったそうだが、それでも今は美林が戻って来ていると聞き、自然の偉大な回復力に安心する。
まだ少々時間があるので明日のルートの事前調査目的で層雲峡から更に奥に向かい、大雪湖の湖畔道路を進んで途中から大雪山観光道路という立派な名前がついた林道に入り、終点の銀泉台まで行ってみる。ようやく陽が落ちて薄暗くなって来たが、ここも黒岳展望台の周辺と同等以上に素晴らしい紅葉であり、明日の高原沼めぐりを期待しながら層雲峡温泉のホテルに帰る。

 [その四] 大雪高原温泉の紅葉 (九月)
昨夜の予報では今朝は雨との事だったので、ゆっくり起床。夜来の雨はとりあえず止んでいるので、当初予定の緑岳登山(二〇二〇m・幕末蝦夷地の探検を行なった松浦武四郎に因んで松浦岳とも)は無理としても、高原の沼めぐりは可能と思われ、ぬかるみを覚悟しその準備をして八時三十分層雲峡ホテルを出発。昨夕事前視察済のルートを通り大雪湖に出、湖畔道路を昨日の銀泉台への入口を通り越して進み、高原大橋に来るとそこに広い臨時駐車場があって、そこから先は有料シャトルバスで入山するわけだ。登山靴に履き替えて九時発のバスで高原温泉に向かう。地元上川高校の二人の女生徒がガイド嬢として乗り込んでいて、二十分間、「窓から見える渓流が石狩川の源流、年間三百万人の観光客が訪れる、紅葉は赤がウラジロナナカマド・黄がダケカンバ」などと解説してくれる。高原温泉(標高一二三〇m)にはヒグマ情報センターがあって、ここで入山届帳に記入してからガイダンスを受ける。最近目撃されたヒグマの位置が壁に貼った地図上にプロットされている。三時間をかけてのコース一周は危険なので禁止されていて、三分の一の所で引き返す事、と注意を受ける。
 歩き始めると直ちに紅葉の海の中に入り込んだ感じで、山道を進みながら目に入る前後左右の森林は殆どすべて紅と黄に変化してしまっている。六甲山や生駒山の紅葉とは雲泥の差で、まるで格が違うと言わなくてはならない。雲は厚くどんよりとしていて今にも降り出しそうな湿っぽい雰囲気の中の紅葉はまた味わい深く見飽きない。土俵沼・バショウ沼・緑の沼と来てここが今日の引き返し点らしく、管理人が数名見張っている。昼食をしながら沼の周辺をカメラに収めてから下山、シャトルバスで駐車場についたのが十二時五十分だった。今夜の泊りの旭岳温泉は、ここから表大雪山塊をトンネルででも越えられれば僅かな距離にあるのだが、そうは行かず、層雲峡へ戻り上川町から旭川市へ戻って、改めて忠別川を上がって旭岳温泉に到着。
 二日後の北海道新聞に「秋 鮮やか――大雪高原 紅葉ピーク」との見出しで航空写真入り記事があったので、要旨を転記しておく。 「道内屈指の紅葉の名所として知られている大雪山国立公園の大雪高原温泉の沼めぐりコースの木々が鮮やかに色づき、紅葉がピークを迎えている。ナナカマドの赤やモミジの黄色がまだら模様となり、紅葉と沼が美しいコントラストを描いている。同温泉の大雪高原山荘によると、紅葉は例年より三日程早く、八日に道内を襲った台風十八号の影響は見られず木の葉は期待通りの色を染めている。沼めぐりコースはここ数日がピークだ」とある。我々の初めての大雪紅葉めぐりは絶好のタイミングだったわけだ。

 さて、今までのところ、大雪を歩く、と言ってもほんの一部である事に気づく。次に計画したいのは旭岳〜黒岳の縦走だ。案内書によれば歩行距離十二km、歩行時間七時間二十分とあり、二〜三年以内なら何とかなろうか。その日が来るまで日頃の足腰鍛錬を怠らない事にしよう。(平成十八年十月)