東京裁判法廷                     

現在防衛庁は市ヶ谷台にあって、その一角には東京裁判の法廷として使われた大講堂が保存されていて見学が可能と聞き、電話(03-3268-3111)申込で予約し、10月25日午後(13:30〜15:40)の見学ツアーに参加した。集合は市ヶ谷本村町にある防衛庁正門で、運転免許証によって申込本人である事を確認するだけであり、当日は多分代議士のツテで四国から来たらしい30人程度の団体と一緒だった。ここは昭和12年陸軍士官学校本部として一号館が建設されたが、昭和16年からは大本営陸軍部・陸軍省参謀本部がこれを使用したそうだ。戦後、米極東軍事司令部等として使用された後、昭和34年に返還され、翌年から陸上自衛隊東部方面総監部及び自衛隊幹部学校として使用されて来たが、老朽化した建物に代わって現代建築の粋を集めた新庁舎(A棟からE棟まで)が完成し、平成12年5月には防衛庁が六本木から移転して来た。以前一号館のあった所にある庁舎A棟が中枢部で、地上19F・地下4F、屋上には2基のヘリポートが設置されている。
 さて、このビルの建設に際し、以前の一号館の中にあって昭和21年5月から約2年半東京裁判法廷として使われた大講堂が、床板に至るまで移設・復元され、市ヶ谷記念館として残っているのである。大講堂の中では、当時のビデオによる東京裁判のシーンを中心とする説明の他、多数の展示物があり、無罪評決をしたパール判決書がガラスケースに収められていた。東京裁判については数多くの著書が発行されているが、河出書房新社「図説・東京裁判」から法廷写真をスキャナーし、一部を抜書きしてみる。「・・・・裁判開始の劈頭、弁護団副団長の清瀬一郎弁護人は、この裁判は罪定法廷主義と法律不遡及の原則に違反しているから、連合国には「平和に対する罪」「人道に対する罪」で被告達を裁く権利はないと強硬に主張したのはもっともな事だった。・・・・このような主張に対してキーナン首席検事は「戦勝国侵略戦争の責任者達を処罰出来ないという理由は有り得ない。日本は無条件降伏したのだ !」と目をむくシーンもあった。・・・・」このような場面を想像しながら、大講堂の見学を終了した。
 翌々日の読売新聞に、中国との戦争、米国との戦争を侵略と思うか否か、とか、先の大戦当時の日本の政治、軍事指導者の戦争責任は戦後十分に議論されて来たと思うか、などのアンケート調査についての結果を中心にした「検証・戦争責任」なる記事があったが、東京裁判に関しては次のようであった。どの程度知っているか聞いたところ、「名称は知っているが内容は知らない」38%、「知らない」22%で、6割が裁判の内容を知らないと答えた。年代別に見ると、内容を知らない人は、20歳台では85%に達し、若年層では東京裁判が過去のものとして忘れ去られつつあるようだ、とある。
 憲法改正がようやくの事で政治課題になりつつあるが、現憲法は昭和21年11月3日公布、翌年5月3日発布であり、占領下のGHQ作品である。
また東京裁判進行中の事でもあった。現憲法がどんな状況下で出来上がったか、若い人に、市ヶ谷記念館を見学し、東京裁判について一冊(世界が裁く東京裁判、がいい)読んでもらいたいものだ。