解読されたソ連の暗号とスパイ活動

二人の米国人歴史家による[Venona:Decoding Soviet Espionage in America]が1999年に出版されたが、その日本語版「ヴェノナ」が中西輝政氏らによって翻訳され今年PHPから出版された。「ヴェノナ」とは1943年、米陸軍によって始められたソ連暗号の傍受・解読作業に対して付けられた作戦名だ。「ソ連の暗号は解読不能」と言われていたが、米国はその解読に血の滲むような努力を続けていた。1940年代の終わりには、米国によって自らの暗号が解読されているらしいと気づいたソ連が、暗号システムを一変させたが、それでも米国は大戦期の数年間におけるソ連暗号の解読作業を1980年迄続け、その成果は冷戦終焉後の1995年になって「ヴェノナ」文書として、米国政府によって公表された。これを基に原著が出来あがったのだが、その内容の信憑性は、ソ連崩壊後のロシアで公開された米国共産党関連史料やKGB内部文書によって裏付けられている。第11章「ソ連の諜報活動とアメリカの歴史(結論)」を以下に要約する。
1. 第二次世界大戦の時期、米国共産党は5万人の党員を擁していた。ソ連KGBがエージェントとしての適格者を、この中から容易に選定出来た。一方当時米政府は連邦政府職員の増員を迫られており、身元調査なく大量採用を行った。その結果何百人と言う米国人が国家機密をモスクワに知らせる諜報活動に従事する事になって行った。財務省には次官補迄登りつめたソ連スパイ・ホワイト(日米開戦につながった米国の最後通諜ハル・ノート起草者)が居た。
2. 米国内のソ連スパイが送った重要情報の内、傍受可能な通信で送られたのは極わずかで、大半はソ連諜報部のクーリエの手で運ばれ、現在もロシア文書館に非公開で眠っている。ポツダム会議の時既にソ連は原爆を知っていた。米国の原爆をコピーする事で、数年は早く開発が出来た。
3. このように、進んでソ連の対米諜報活動に与した事で、米共産党自身が世界大戦後の米国での「反共の時代」を招き寄せた。1950年前後に米連邦政府は米国共産党の調査や告発を行ったが、これは組織としてソ連の諜報活動と繋がっているという確かな根拠があったからだ。連邦政府内にもソ連のスパイが潜入している、と分かってくると、政府内は悪夢のような状況になった。
4. ソ連の秘密通信の傍受解読に米国は成功していると言う事がソ連側に通報されていると、1950年頃、米国当局は気づいたが、ヴェノナの存在は厳格に秘匿して置く事にした。しかし、今や第二次世界大戦中のソ連の対米諜報活動に関する多くの資料(ヴェノナ解読文書・FBI秘密文書・ロシアの文書館資料)が公開された。分かった事は、ソ連は既に1942年から45年にかけての時期に、米国に対し膨大な規模の諜報工作の大攻勢を仕掛けていたのだった。
 監訳者・中西氏は「少なくとも50〜60年経たないと、本当の歴史はわからない」と述べているが、日米開戦のきっかけや戦後の占領政策についても当てはまると私は考える。戦前の日本共産党は名実ともにソ連コミンテルン日本支部にほかならなかった。この共産党をはじめ左翼を押えていた内務省などの諸機関を解体する事が、GHQ民政局(局長・次長はいずれも社会主義者だった事は今では明らかになっているし、彼らの右腕ハーバート・ノーマンコミンテルンエージェントだった)のまず第一にやりたい事だった。その結果大学はじめ日本の知的分野は左翼一色に変わって行った。容共的なルーズベルトの周辺の左翼官僚の一部は戦後GHQスタッフとして占領政策を取り仕切り、日本弱体化政策・民主化政策を推進したのだ。それは東京裁判と新憲法となって結実し、現在でも日本はその呪縛から解放されていないのだが、依然として封印されている各種文書が近い将来公開されて、本当の歴史が明らかになるのを私は願ってやまない。