小泉首相の靖国参拝                    

 中国の呉儀副首相が小泉首相との会談を突然中止して帰国した事など日中間の摩擦について、米国大手紙ウォールストリート・ジャーナルは「小泉氏の土下座拒否」と題した社説で、中国からの靖国神社参拝中止などの対日要求を「横柄」と批判し、呉副首相の言動も中国側の圧力戦略だと評した。また同紙は、一連の日本批判の根底には「民族主義的感情」をあおる事で政権の正当性を確保せざるを得ない中国の政治の現実がある、とも指摘している。私もそのようなとらえ方が真実に近いと思い、この際は特に毅然とした言動が必要と考えるものの、「国益?に反するので、小泉首相は参拝を中止すべきだ」「中韓の反感を買ってまで参拝する意義はない」などの見解を持つ人が日本には意外に多く、内外に対してきちんと説明しておく必要があるように思われる。 
  まずA級戦犯東京裁判の為に作られた「平和に対する罪」などで裁かれたわけだが、罪刑法定主義にも事後法禁止にも違反する不当不法な判決である事は今や国際的に明らかにされている。不当不法ではあったが東京裁判の諸判決を反古にはしないとの約束(サンフランシスコ講和条約11条)は守り終わったわけで、東京裁判の中での言葉である‘A級戦犯’も、講和条約締結後は実態の無いものなのである。また「いわゆる戦犯は国内法においては、あくまで犯罪者ではない。国内法の適用においてこれを犯罪者と扱う事は如何なる意味でも適当でない」と当時から法相が参院法務委員会で明言しており、有罪判決を受けた重光葵賀屋興宣の両氏はそれぞれ外相・法相となるなど、政府や国会による戦犯の赦免や名誉回復はとうの昔に済んでいるのである。
  このような法治主義の立場で中国の「小泉首相靖国参拝中止要求」を不勉強も甚だしいと無視しても良いと私は考えるが、「日本の軍国主義化の懸念」が参拝中止要求の真意だと言う先方の言い分を―真に受けて―考えてみよう。これこそ更に不勉強であって「ご心配なく」と言えるのではないか。戦後六十年もの長きにわたり、戦争放棄憲法を大事に守っている日本人、自衛権はあるとか世界平和貢献の為なら海外派遣が出来ると書き変えるのさえ慎重で紛争嫌いな日本人、自民党支持者でも親中派と言われる大勢の有力政治家を選ぶ日本人、どこの国のものかとあきれるばかりの自虐的歴史教科書を使い続ける文科省日教組を許す日本人、数え上げれば切りが無い。実はこのような現日本人の心情の淵源はGHQの精神的武装解除(日本人に贖罪意識を植え付けた占領政策)にあると私は感じ、この呪縛を解き放って普通の人間・普通の国にならなくてはと常日頃考えているのだが、中国の要求に屈して首相が参拝を中止した場合、さすがに事なかれ主義の国民も目覚め、結果として日本が普通の国に変わるのが早まるように思われる。私はその方がかえっていいのだが、親中派の政治家は(真の親中派なら)中国に対し靖国参拝中止要求を取り下げるよう得意のご注進をするべきではないのだろうか。
それともそんな事は十分わかっていて、中国政府は真の日中友好を実は深めたいのだが、(反日教育が行き過ぎてしまい)日本軍国主義に反感を持つ国民の対日悪感情がここへ来て急増してしまった、小泉首相の参拝があると手の打ちようがないので、ここは何とか配慮してくれないかというのが先方の本音だとこちらが善意に解釈して参拝中止を決断する場合は、プライドをかなぐり捨てて助け舟を出すわけだから、それに見合う対価を確保すべく知恵を出さないといけない。まず小泉首相は、神道靖国神社の由来、日本人の宗教心、東京裁判でのA級戦犯などなど全てに渡って論じ、参拝に何ら問題はないと思うのだが、皆さんはどう考えるかと世界に向かって発信し、世界各国の反応を得て結論を得るまで今年一度だけは靖国参拝を休むと宣言したらどうだろうか。私は否定的回答は少なく、日本への理解が大いに進むのではと期待している。