政治家よ 国を危うくするなかれ               

 靖国参拝問題に対する我が国政治家の昨今の不勉強で軽薄な発言について、産経新聞論説委員長・千野境子氏が、今朝(6月10日)の一面で慨嘆している。掲題はその見出しである。氏は、1967年早稲田大学第一文学部(ロシア文学)卒業、同年産経新聞入社、各部を経てニューヨーク/シンガポール各支社長・外信部長・論説委員を歴任、今年から論説委員長である。昨秋、「世界は今日本をどう伝えているか」と題する一時間余りの講演を聴いたが、要旨は『1999年が日本のターニングポイントの年だった。日の丸・君が代、日米防衛ガイドラインミサイル防衛共同研究、など一歩一歩日本の形を整えようとして来たが、これに外国は高い関心を示している。普通の国になりつつある事に対し、中国・韓国は警戒心を抱くのだが、米国は前向きに受け止め、日本復活に期待し、小泉竹中を欧米のメディアは、分り易くなった日本の指導者として高く評価している。今後の歴史問題・靖国問題についても、ギャップを埋めるべく根気よく発信して行くべき』であり、拍手を送ったが、今朝のも「わが意を得たり」の少論であり、要旨を以下に記す。
(1) 日本の大使館や領事館、果ては中国人経営の日本料理店までが反日デモの暴徒に襲われたのはたった二ヶ月前。副首相の非礼な帰国も数週間前の事に過ぎない。であるのに我が政治家達と来たら、謝罪要求・賠償要求はどこへやら、中国政府のメッセンジャーよろしく小泉首相靖国参拝中止を迫っている。反日デモで国際社会から指弾され窮地に陥っていた中国にすれば、一転、濡れ手で粟みたいなものだろう。 
(2) 中曽根元首相も「止めるのも一つの立派な決断」と参拝中止を進言した。中曽根氏の20年前の参拝取り止めは親日的な故胡耀邦総書記を思っての事だったとされているが、配慮が奏効しなかった事は歴史が示す通り。そもそも一国の命運は、自らの力量で決まるもので、他国の力など限定的でしかないのだ。 
(3) 政治家達は今や雪崩を打って、参拝中止やA級戦犯分祀を求めている。彼らは異口同音に国益を強調する。本当だろうか。一皮むけば「国益は私益」という政治家はいないだろうか。もしそれが信念かつ持論ならば、自ら問題提起して来なかったのは何故だろう。小泉政権は四年も続いているのだ。中国艦船の領海侵犯や日本近海での活動活発化、更に東シナ海の地下資源を廻る確執など、日中間には戦略的利害の対立が次第に鮮明になって来たが、正にその時に、小泉首相の筋を通そうとする姿勢を有力政治家が寄ってたかってつぶそうとする。何と言う光景だろう。 
(4) 来日した米国のアーミテージ前国務副長官は民放の番組で「他国から参拝するなと指図されるような事があれば、逆に参拝すべきだ」と答えたと言う。至言である。核開発に存亡をかける北朝鮮。米韓同盟に隙間風の吹く韓国。北東アジア情勢は益々厳しさを増すだろう。わが政治家達の対中姿勢を見ていると、いささかクラシックな表現ながら、こんな思いが浮かぶ。君、国を危うくするなかれ。
 私は誠に同感である。多くの海外紙の見解を米紙ウォールストリートジャーナルに見てみると「反日の動機は歴史でも靖国でもなく、日本の国連安保理常任理事国入りの動きや中国の対台湾政策への日米の懸念表明であり、靖国参拝批判は日本への圧力の道具でしかない」であり、このような冷静な見方とは反対に我が国政治家は震え上がって、自国の総理を引きずり降ろそうとしているのだ。中国にとっては思う壺であり、ほくそえんでいるのだが、そんな幼稚なからくりが彼らの頭には浮かばないのだろうか。国を危うくしているのに思い至らないのだろうか。