日本人よ、矜持を持て――その2

 
元外務次官・村田良平氏回想録の最終章第3節以降第9節迄の主要な部分を私なりに要約しておく。
1. 過去の日本の戦争についての評価 当時の全世界的雰囲気として、(1)欧米人は全面的に人種主義者であり、有色人種というだけで日本人は差別された。(2)明治維新以来日清日露の戦争によって漸く不平等条約を撤廃せしめた我国としては、軍事力を更に強化しなくてはならないと、国民全員が考えていた。(3)不戦条約はあったが、自衛戦争は合法であり、又何が自衛かについての解釈は各主権国に委ねられていた。(4)当時石油をはじめとする資源の配分は偏っており、世界大恐慌以降のブロック経済下で、アジア地域の資源を支配しなくては、と考えた人々が少なくなかった。等々を挙げ理解を示しつつ、(5)予算の取り合いで陸海軍間の対立は続き、陸海軍大臣現役制も足かせとなり、さなきだに弱い総理大臣の立場は一層弱体化し、議会政治は完全に形骸化した。(6)米国の軍事力・生産力・戦闘意欲に対する判断を誤る一方、指導的立場にあった大佐以上元帥迄の人々の決断力・洞察力は驚く程貧困だったと村田氏は指摘する。まず満州事変だが、これは日露戦争の結果大国の座の末席を占めるに至った我国が、将来の対ソ連戦を念頭に置いて列強と対等の軍事大国となる事を期して起こした行動だったが、世界20ヶ国以上の承認を受けたし、リットン報告でも日本の行動を全面的に責任のある「侵略」とは決めつけてはいなかった。次のシナ事変自体は、当初の軍の派遣には相当の理由があったと言えるものの、8年間にわたってシナの広大な地域を占領し、中国国民に少なからぬ被害を与えた事を総合すれば、全体として侵略的戦争と結論せざるを得ない。昭和16年12月でなお75万人の将兵がシナにおいて闘っていた事を考えると、これに加えて米英軍に挑戦し得るとした当時の軍の総合判断力は「異常」と言う他ないと村田氏は結論づける。
2. 自虐史観 もし東京裁判は単なる復讐兼ショーの茶番劇だったと、日本人が正しく認識しさえすれば、そもそも自虐史観なるものが生まれる筈はなかったのだが、しかし東京裁判の亡霊は今なお生き残っていると村田氏は言い、次の3点に留意すべしと指摘する。(1)明確な事実については勿論認めるべきだが、そうでない場合は、どんな裏約束があってもこれを認めてはいけない、というのが第一である。従軍慰安婦問題については、日本軍が慰安婦として連行した事実が無かった事は確立している。よって河野洋平氏は、恥を知る人なら、今からでも遅くないから、日本国にいわれない恥辱を与えた重大な責任をとり、一日も早く議長の席はもとより国会を立ち去って頂きたいと、そして河野氏にその勇気がないなら、総理又は外相が代わって公式に訂正談話を出すべきと。更に、一体当時の外務省の関係局長は何をしていたのか、上司たる大臣に対し「それは誤りです」と何故正論を述べなかったのだろうかと慨嘆している。(2)歴史問題に責任を持たない世代に対し相手国が責任を問う形で批判非難をする場合は、断乎として拒否すべき、というのが第二である。南京事件については、最近相当深く研究が進み、その全貌は大よそは明らかになっている。それは常軌を大きく逸脱する組織的虐殺といったものでなく、散発的な行為だった。加えて70年も前の事であり、現在の日本国民にその責は問えないと。(3)過去の日本の行動がいかなる被害を中国に与えたとしても、講和条約の締結で清算は終了している、というのが第三である。彼我に恨みや憤りの感情は残るが、平和条約で線を引くのが国際ルールであり、あとは時が癒すのを待つ他ないと。ドイツのワイツゼッカ―大統領の有名な演説の最も重要な個所は「……罪といい、無実といい、民族全体というような集団的なものでなく、個人的なもの…」としており、ナチスによるユダヤ人への迫害について陳謝し補償措置を取ったものの、ヒトラーの計画的侵略的戦争についての明確な謝罪はどこにも無いと村田氏は指摘している。自虐史観を早く願い下げたいものと私も強く思っている。