日本の技術の問題点                

今年3月日経プレミアシリーズで刊行の木村英紀著「ものつくり敗戦(匠の呪縛が日本を衰退させる)」を読み、「なるほどそういう事が言えるのかも知れないな」と感じ、ここに要旨を記す。
1. 第2の科学革命
・元々技術と科学は無関係のものであり、技術は生きる為に道具を作る事で始まったのに対し、科学は好奇心からの思索であり古代ギリシャに源がある。16〜17世紀のガリレオ/ニュートンの時代は科学の飛躍の時代(第1の科学革命)であり、一世紀後に産業革命が起こったが、依然として科学と技術の交流は無かった。
・1794年に技術者養成の「エコールポリテクニク」がフランス軍の学校として創立され、科学と技術の連携が図られた。科学は技術に合理的な基礎を与え、技術は科学に解くべき問題を提起する、という協力関係が成立した。
・この変貌を多くの科学史家は第2の科学革命と呼ぶ。1851年にロンドンで1900年にパリで万国博覧会が開かれ、続いて自動車の生産がフォードで始まり、大量生産の時代となって、部品の互換性/規格化/品質管理/フィードバック制御など生産技術が必要になった。更に情報に基づく意思決定/ネットワーク問題/配電網電話網など次第に「複雑さと不確かさ」が顕在化し、この克服の為に「情報」が重要な役割を担うようになる。
2. 第3の科学革命
・このような意味での「情報」はニュートン以来の近代自然科学には無い概念であり、そこで必要になった新しい科学はアングロサクソン各国で1930〜40年に誕生した。具体的には制御工学/OR/ネットワーク理論/微分解析機/シャノン通信理論などであり、ウィーナーのサイバネティックスはこれらの成果の集大成のような位置にある。これらは、第2の科学革命が生んだ様々な課題(複雑さと不確かさ)を解決する為の科学であり、自然科学と同様に大きな変革を技術にもたらしたとして、著者はこれを第3の科学革命と呼びたいと。この新しい科学はいずれも「システム」を対象としており、第3の科学革命は「機械をシステムに変えた」と著者は言う。
3. 戦前戦後の日米技術の方向性と日本の敗戦
・太平洋戦争時代の日本軍の兵器は、名人芸で作られた複雑な零戦の例のように、規格化/互換性の遅れ、多種乱造による生産効率低下が著しかったが、米英は第3科学革命で質的転換を遂げつつあった。
・戦後の我国では、製品の信頼性向上の為品質管理運動が展開され、更にスローガン「生産に科学を」の「科学」は物理/化学を意味し第2科学革命の追認であった半面、第3科学革命を無視する事に繋がってしまった。一方米国ではスプートニックショック/冷戦下の軍事技術/宇宙開発プロジェクトなどを通じてシステム工学が目覚ましく発展普及し、計算機技術は終始一貫して優位を保ち、ソフトウェアでは他国の追随を許さなかった。
・現場経験を尊重する企業文化/ボトムアップの品質改善/暗黙知形式知に転換する学習活動など労働集約型技術は、我国産業競争力向上の原動力ではあったが、他方でこれは大きな陰影をもたらした。理論を軽視する、普遍性を重視しない、数学を嫌う、などなどだ。これでは日本発の計算機は生まれない。
4. 「匠」の呪縛からの脱却
・日本の技術が苦手とするものは理論/システム/ソフトウェアの三つ、しかもこれらは現代技術の流れを支配しており、世界での技術の主戦場は日本人の好きな「技」「匠」とは対極にある。携帯電話で言えば「モノ」としての製品より、それがもたらす「コト」を作るこの三つが次代の主役だと。
・自然科学に基礎を持つ技術(電気/機械/化学……)と並んで、論理に基礎を持つ技術(システム理論/制御工学/設計学/ネットワーク/計算論と論理学/計画数学/ソフトウェア理論/行動工学/数理科学……)こそは現代の技術で付加価値を生み出しているのだと、そして前者の伝統的な工学を一方の輪とし、後者「第3科学革命」がもたらすもう一方の輪の二輪構造を見据えて人材育成を推進すべきと著者は主張している。