足立美術館――名園と名画                 

  船上山のハイキングが予想以上の軽〃登山で、正午過ぎに下山出来たので、足立美術館を見て帰ろうと言う事になった。日本海に出て国道9号線を西に向かい、皆生温泉米子市安来市から飯梨川を上がって行くと水田が広がり、こんな所に美術館とは、と思っていると、観光バスが10台位並んでいる広い駐車場に到着、観光客がぞろぞろと入口に向かっている。先月の産経新聞の「凛として」シリーズに5回に亘る紹介記事があり、「米国など英語圏を中心に37ヶ国で発行されている日本庭園専門雑誌から、昨年と今年二年連続で「最も優れた日本庭園」の称号を授けられたとある。以下記事を中心に紹介しよう。丁度今ドウダンツツジの葉がオレンジ色に、そして楓も徐々に色づき11月中旬には盛りを迎え、少し遅れて周囲の山々の梅や桜などの木々が紅葉し近景から遠景へと秋が広がって行く。整然とした枯山水庭や白砂青松庭、そしてしっとりとした風情のある苔庭や池庭はそれぞれ四季折々の景観が楽しめるようにこまめに手が入れられている。 一方「名園と名画」をコンセプトに据えたこの美術館は、約130点という最大級の横山大観作品のコレクションを始め、榊原紫峰・上村松園川合玉堂伊東深水などの名だたる日本画家の作品の収蔵で知られる。この秋も特別展示室では大観の名品を堪能する事が出来るが、中でも群青の流水に深紅の紅葉を配した絢爛豪華な屏風作品「紅葉」が人気を集めている。
昭和45年、71歳の時に、この山あいの生家を核に美術館を会館した足立全康とは一体何者か? 明治32年小作農家の長男として生まれた彼は、わらぶき屋根に粘土を塗っただけの家に両親・祖父母・姉一人・妹二人と住み、尋常小学校を卒業した後は父母と一緒に畑仕事の毎日だった、とある。大正8年徴兵で松江歩兵連隊に入ったが、二年の兵役の後大阪に出、仕出屋・炭卸問屋・米仲買・荒物屋・繊維ブローカーなどを経て、昭和21年(47歳)船場に綿布問屋を設立、外車販売・金融業にも進出した。50歳台半ばで不動産業を本格化させ、昭和39年(65歳)に設立した「新大阪地所」では東海道新幹線の開業を控えた新大阪周辺に目をつけ、土地を買いまくって行った、という。これで名園と名画の事情は分かったが、皆さんも一度訪ねられては如何。平成2年91歳で亡くなった後はお孫さんが館長となり、年間50万人以上の参観者を迎えているという。