胡錦涛への登小平の遺言                        

 1992年6月胡錦涛を自宅に呼び中国統治の要諦を伝えたとされる逸話を纏め、2003年香港で出版された原題「遺嘱(遺言)」の最終章の邦訳コピーを入手したが、以下がその要約である。
 まず(1)勝g小平は現在の政治体制に非常に不満で、最も欠けているのは「民主と法制」だと指摘し、中華人民共和国の真の権力の源を人民と法制に置き、公平な憲政国家にすべきと説く。(2)は台湾問題だが、中国全体の連邦制による憲政の道を探る事とし、経済を強大にし民主と法制の共和体にすれば、台湾問題は一気に解決すると言う。(3)は経済建設と社会発展の問題だが、これを政府だけに任せるのでなく一般民衆にやらせる事だと説き、経済の問題は一般民衆と市場の方が共産党の計画より聡明だと言う。(4)は中国の対外関係で最も重要な中米関係だが、この百年来、中国に対する侮蔑の度合いが最も少なかった大国は米国だし、抗日戦争において米国からの援助はソ連よりも遥かに多く、反米援朝(鮮)で米国と闘ったのは金日成とスターリンが中国に仕向けた事によるものだった、と言う。米国は世界一の強国であり、中国の発展と統一は米国抜きには考えられない。将来は党名を変え人民党か社会党にしてもいい。党名変更は中米関係の改善に大いに役立つと言う。(5)は1989年発生の天安門事件だが、大きな歴史上の責任は国家をバラバラにするかそれとも安定的に発展させるかであり、中国政府は間違っていなかったし、いずれ歴史はこの事件について理性的な見解を出すであろうと言う。(6)は制度の構築である。例えば今中国は一握りのグループから江沢民を選んでいるが、将来の指導者は人民によって選ばれなければならない。民心と民意に基づく事が政権維持を完全なものにする方法だ。これからは一般民衆の税金が政権を養う事になるのだし、進取開拓の精神で制度の構築をやらなければならないと。
 著者はペンネームを用いていて正体不明なものの、共産党・政府の中枢部勤務経験者と言われているようで、作り事ではもちろんなく、実際に行なわれた登小平の胡錦涛への政治的な引継ぎだったと言われていると言う。一見驚嘆すべき内容に思われるが、市場経済共産党独裁という現中国の巨大な矛盾が永遠に続くわけがなくいずれ大暴動とか国家分裂もあり得るなと考える人達(私もその一人)にとっては、小癪な奴と舌打ちしながらさすがに登小平は天才だと感嘆せざるを得ない、と共に長大な中国の歴史を考えればちょっとやそっとで米国並みの民主主義国家に変わるわけがないとも思う。と同時に産経新聞の連載「新地球日本史」の中でこのところ「アメリカ国民の中国理解の低さ」と題する解説記事を思い出す。これは1920年代の後半中国駐在公使を務め中国問題の第一人者だったJ.マクマリーの著名な著書「平和はいかに失われたか」を引用紹介しながらの日本政策研究センター所長伊藤氏の主張なのだが、それはワシントン会議・国際協調体制・中国の排日運動激化・満州事変・リットン報告書の時代における、米国の中国認識に対する批判であり、19世紀末中国に渡った宣教師の影響・日露戦争以降の米国民の中国贔屓・ウィルソン大統領のエスカレートした中国への肩入れなど、国際法を無視してまでも中国の主張に迎合しようとする米国の外交姿勢が国際協調を目指したワシントン体制を有名無実にしてしまい、日本人の絶望感を生んで満州事変へ向かわせてしまった一因としている。「国際政治において現実を把握する事の持つ限りない意味の重さだ。米国が中国に対し主観的に善意であった事は言うまでもない。しかし、その前提となる中国贔屓の余りの的外れが、その実態認識を歪め、米国を親中反日にし最終的には日米戦争にまでなってしまったと言える」と言うのが伊藤氏の結論である。
前述の登小平の国家戦略が将来実現して、価値観を共有する米中二大強国時代が到来した時、我が日本はその狭間で今まで以上に政治的な弱小国になってしまっているのだろうか。国家戦略の国民的議論の沸騰と安倍晋三以下若手政治家の奮起を期待したい。もはや小泉には期待しない。