江戸末期輸入の鍛造機                          

JR横須賀駅を降りたら直ぐ前が軍港と聞いていたので、久里浜ペリー公園見学からの帰りに立ち寄ってみた。臨海公園に立ってみると、右手の対岸に真っ黒な潜水艦が数隻、左手やや遠方には灰色の船艦がこれも数隻停泊していたが、いずれも海上自衛隊であり、米軍はもっと半島先端に陣取っているようでここからは見えない。細長い公園の一番手前にヴェルニー記念館というのがあったので、何かと思って入って見ると大小2基の鍛造機が陳列されていて、いずれも江戸末期に輸入されたもので、日本機械学会が機械技術遺産として高く評価しているスチームハンマー(SH)と分かった。大きい方の3トン(落下するハンマーの重量)のアーチ状門形SH(総重量18.4トン)には「ROTTERDAM 1865」と銘にあり、外輪船のロッドやスクリューなど船舶の各種部品の製造に使われたそうだ。 蒸気圧力でハンマーを持ち上げる役割のシリンダーは内径648mm、ストロークは約1700mmだが、この駆動部が門形枠中央に乗っていて、「3トンの1700mm落下」により加熱された鋼が鍛造される。ここの展示には無いのだが、実際には地下にハンマー重量の20倍以上の重量物が金敷(アンビル)として必要になると解説されている。どういうわけでこのハンマーがそこに展示されているのか、経緯は以下のようである。
 江戸末期(1864.11)幕府はフランス公使の薦めもあり造船所と造機工場建設を決定し、仏海軍の技術者として中国で造船技術指導に従事していたヴェルニーを横須賀製鉄所(実は造船所)の所長として招いた。彼は1865年から12年間建設と運営の責任者として活躍したが、このハンマーも彼によって1866年にオランダから輸入され、大日本帝国海軍横須賀工廠付属機械としてその後第二次世界大戦終了まで稼動したという。1945年連合軍により接収されるが、米海軍横須賀艦船修理廠にて1997年まで継続使用されたそうなので、結局130年間の稼動と言う事になる。1996年在日米軍から撤去の予定連絡と日本側による保存活用を希望する意思表明とが横須賀市にあり、市は貴重な歴史遺産である事を確認して、旧横須賀製鉄所の対岸に位置するヴェルニー(当時臨海)公園への移築復元構想取り纏めに着手した。ハンマーは1999年に横須賀市に払い下げられた後、2001.6に住友重機械工業へ搬入されて解体修理・保存工事が開始され、同年10月には公園記念館への設置工事が開始されて2002.2に全て完了、記念館は2002.5.1に開館されたそうだ。
 本件に関する研究報告書には「このスチームハンマーは重要文化財(歴史資料)に指定されている。この他に歴史資料として1号機関車(交通博物館)・モールス電信機(逓信博物館)・竪削り盤(三菱重工長崎造船所資料館)・平削り盤(尚古集成館)・形削り盤(盛岡工業高等学校)などがある。こうした機械を保存する事はその時代の技術を後世に伝える事であるが、保存だけでなく調査研究の継続とその成果の公表、更に教育面への還元があってはじめて保存の意義が認められる」と述べられている。誠に同感である。このヴェルニー記念館も久里浜のペリー記念館もささやかな施設ではあるが、教材として大変価値の高いものであり、小中学校生徒が全員引率されて見学し、幕末維新に思いを馳せてもらいたいものだ。