高千穂峰再挑戦                         

  
H14年正月の鹿児島新春登山旅行では、開聞岳の登頂には成功したものの高千穂峰は「吹雪の為お鉢を目前にして引き返した」ので、早めに決着をつけておこうと先日再挑戦する事にした。 12月3日夜鹿児島に飛び鹿児島空港ホテルで一泊した翌日だが、台湾まで行った台風が逆戻りして来た影響で鹿児島も一日中雨降りになってしまった。明日は台風一過の晴天だろうと期待しつつ、その日は予定を急遽変更し、レンタカーでの鹿児島市内観光とする。数年前にも来たことはあったのだが団体旅行での見学は短時間、今回は家内と二人なので一日ゆっくり巡ろうと決め、「鹿児島県歴史資料センター黎明館」と磯周辺「仙巌園・尚古集成館」の二箇所に限定する。黎明館は明治100年(昭和43年)を記念して昭和53年に開館した人文系の総合博物館で、薩摩藩鶴丸城の本丸跡に建設された。原始古代・中世・近世・近現代のテーマ別展示、民族・歴史・美術工芸など部門別展示となっていて、例えば薩摩藩英国留学生(1965年国禁を犯して17名が出発)の展示などなかなか興味深い。桜島を築山に錦江湾を池に見立てた雄大な借景を持つ仙巌園は1658年に19代島津光久が別邸として造営したもので、正門として作られた錫門、明治時代には島津家本邸として使用された御殿、琉球国王から献上されたと伝えられる望嶽楼などがある。その隣接地には、元は28代島津斉彬(1809~1858)が西洋にならって国内初の近代的工場群として造った集成館があって、大砲・船・ガラス・陶器などを製造していたが、薩英戦争で殆んど焼失してしまったという。その後29代忠義(1840~1897)が機械工場として造った建物が1923年からは博物館となり、現在尚古集成館として島津家と薩摩藩の資料を中心に鎧兜・大砲・当時の機械類・など一万点が収蔵展示されている。幕末において製鉄・造船・紡績などの諸産業を興し、明治維新に先駆けて日本近代化の原点となった鹿児島の歴史遺産の数々には大きな感銘を受けた。
 その夜は霧島ロイヤルホテルに泊まったが、翌朝予報どおり雨は止んでおり、霧島連山の南の入口として知られる高千穂河原(標高970m)に向かう。広い駐車場の一番奥に車を置き、念のため雨具で身を固めてスタート。鳥居をくぐって古宮址(その昔の霧島神社)まで参道を歩き、しばらく行くと樹林が低くなって登山道に出る。赤黒い溶岩の斜面を足元一歩一歩確認しながら行く。陽射しはなくても雲は割合に高く、かなりの強風だが周辺の山々はよく見えるので余り不安はなく、約一時間でお鉢の火口壁に辿り着く。お鉢(写真―深さ約200mで今も噴気活動あり)の中を覗きに縁に近づくと、一段と強風が気になる。しばらく休んでからお鉢の縁を歩き始めたが、更に強く風が左から吹き上げて来て、‘これはいかん’と溶岩の陰に退避。もう一度試してみたものの、強風は依然として強烈であり、バランスを崩すと吹き飛ばされそうだ。岩陰で様子を見たが回復の見込みなしと判断、撤退を決意する。この写真は頂上からお鉢を見たガイドブックの中の写真であり、右手の縁をこちらに向かって歩こうとしていたわけだ。結局標高1350mぐらいまで行って今回は「強風のために撤退」という事だ。ビジターセンターで複製の天の逆鉾に並んで写真を撮って帰って来たが、再々挑戦はミヤマキリシマが一面に咲き誇る6月上旬としよう。