ブッシュ政権とイラク戦争               

 表題は新刊『ウルカヌス(VULCANS)の群像』という600頁近い大著の副題だが、著者J.Mannは米戦略国際研究センター所属のライターで、100件(人)を優に超すインタビューを行なった上で本書を執筆している。以下は主として「日本語版への序文」「はしがき」「むすび」「監訳者あとがき」からの抜粋・要約である。VULCANSとはローマ神話の「火と鍛冶の神」の事だが、ブッシュの選挙(1999〜2000)キャンペーン中、チェイニー・ラムズフェルド・パウエル・アーミテージ・ウルフォウィッツ・ライスらは自分達自身のニックネームとして使うようになった。彼らは過去の共和党政権で苦労を重ねながら一緒に出世して来たのだが、2001年初め、大統領から命ぜられて新政権の外交政策チームとして集まり、政権発足早々から新しい仕方で世界に対処する意図を明確にした。即ち、70年代初期から今まで、米はベトナム戦争後のどん底から少しずつ立ち直って、無敵の軍事力を保持するようになったのだが、これを基盤に特に2001.9.11以降、外交政策は冷戦時代の教義だった抑止力とか封じ込めではなく、「先制攻撃による開戦も辞さず」に変わり、又サウジなど権威主義体制との協力関係維持でなく、公然と「民主主義の大義を掲げての体制改革」を彼らは語り始めるようになった。ウルカヌスは「米は衰退過程にあるのではなく、これまでと同様、世界最大の強国で在り続け、その価値と理念を世界中に広げて行かねばならない」と考える立場をとり、「それこそが大きくみて世界に善をもたらす」と信じているのである。
 さてイラク戦争だが、これをめぐる激しい論争は結果からみていずれの側も間違っていた。反対論者は、米主導の戦争はこの地域一帯でデモを誘発しアラブ諸国の政権の安定を脅かし、イラクイスラエル攻撃もあり得る、と警告していたが、しかし、彼らが予告した悲惨な結末にはならなかった。米側は、サダムが権力の座を去ればイラク人は民意に基づく新政権に忠誠を尽くし、国の運営を担って行くだろう、と考えたが、イラク人はこれに応えられず、米国はイラク占領という厄介な仕事を抱え込んでしまった。イラク侵攻反対論者が、結果を誇大視していたのと同様に、賛成論者の方も、イラク社会に与える影響を過大評価していたのである。今までのところそのような結果になっているイラク侵攻だが、その侵攻決定にはウルカヌスの世界観が集約されていて、それは、?米国軍事力の重要性と有効性についての信念、?イラク戦争は世界中に善をもたらすとの信念、?米国の能力に対する底抜けの楽観主義、?諸外国との協議や妥協の排除、?いかなるライバル国の登場をも阻止する強力な軍事力への傾倒、などであると著者は総括する。
 35年に渡ってウルカヌス達は、他者の挑戦を許さない軍事力構築を追求して来た世代の代表であり、彼らが今米国を代表しているのだが、2003年のイラクへの試みが歴史の折り返し点となるかどうか、未だに答はない。もちろんウルカヌス達は、イラクは中東全域の民主化への道程の中間点に過ぎないと見ている。即ち、イラクは彼らが冷戦期に育んだ考え方――米国は軍事力を重視して自己の理念を世界に広めるべきであり、米国以外の力の出現を許してはならない――を冷戦後の世界へ持ち出す究極の第一歩だった。ここ数年間、現代史の専門家達は1989年の冷戦後から新しい時代が始まったとの視点で世界の出来事を描いて来たが、本書は冷戦終了前20年に始まり、それ以降少なくとも15年間が続いているという全く別の「歴史の語り方」である。それは無敵の米国の、力の追求の物語である、という言葉(2003秋)で終わっているのだが、日本語版への序文(2004.9.15)の最後では、イラク侵攻は米国の根底に横たわるある種の脆弱性をさらけ出してしまい、民主主義と自由の大義に対する支持を危うくしてしまった、と懸念を表し、本書は無理をし過ぎた悲劇の物語だ、と結んでいるのは、著者の揺れる心中を見るようで興味深い。