北海道新幹線                  

月曜日からの札幌出張なのだが、日曜朝に空路函館に入り、学生時代を入れて二度目の函館観光の後、汽車で札幌に向かう事にした。羽田7:40発、寒波が来て全国的に日本海側は大雪との予報であったが、仙台迄はほぼ晴天、その後は厚い雲の上をしばらく行き、降下して見えて来た白波の津軽海峡を経て、マイナス6度・小雪函館空港に到着。JR函館駅前発の乗客13人だけの定期観光バスで五稜郭・トラピスチヌ修道院・旧イギリス領事館を巡り最後はロープウェイで登る函館山だ。その時たまたま晴れて山頂から全市街が望めたが、函館港に係留されている摩周丸に因んでの青函連絡船の歴史・昭和29年の洞爺丸事故(台風により函館港外で座礁し転覆)・他に僚船4隻の沈没も併せて犠牲者1430人と言う事など、ガイド嬢の説明を聞きながらしばし往時を思い起こした。
この大惨事を契機に以前から検討されていたトンネル計画が進展し、昭和36年に北海道側で斜坑掘削が開始されて以来、24年を経て本杭 (トンネル延長53.85km―海底部23.30km、陸上部30.55km、津軽海峡の水深は140m、本坑は更に地下100m) が貫通、昭和63年に営業が開始されると同時に青函連絡船は廃止されたのだった。本州側には青森―三厩(ミンマヤ)の津軽線があり、途中の中小国(ナカオグニ)からトンネルへ向かって路線が分岐し、北海道側には函館―江差江差線があり、途中の木古内(キコナイ)から同じくトンネルへ向かって新線が敷設された。今、青森―函館間160kmは津軽海峡線と総称されているが、当初は連絡線時代に比し一時間以上も早いという速達性に、青函トンネルそのものが一つの観光資源であった事も重なって開業後しばらくは非常な盛況であったようだ。しかし残念ながら乗客の減少と共に列車数も逐次削減され、現在ここを通過する列車は、いずれも八戸・函館を始点終点としている5往復の白鳥・4往復のスーパー白鳥と、上野―札幌間の北斗星○号・カシオペア、大阪―札幌間のトワイライトエクスプレス、大阪―函館間の日本海など計7寝台列車のみとなっている。交通機関別の北海道−本州間輸送シェアの推移を見てみると、過去30年間航空は急増し現在(平成13年)年間22,658千人(86%)、船舶は微増で2,259千人(9%)、JRは昭和50年度の4,307千人に対し平成13年は激減して1,469千人(6%)となっていて、やはり鉄道の凋落ぶりを示している。
そのような中で12月22日平成18年度の整備新幹線事業費の配分が発表され、北海道新幹線には昨年比倍増の60億円が与えられた。そもそも「全国新幹線鉄道整備法」が昭和45年に制定された後、昭和48年に「青森−札幌」約360kmと決定された北海道新幹線だったが、漸くにして平成16年政府・与党申し合わせで、「北海道新幹線(とりあえず新青森−新函館)は平成17年度に着工し、平成27年度末の完成を目指す」となり30億円の予算がつけられたようだ。(因みに八戸から新青森までの81kmは平成22年完成で進捗中)。新青森−新函館の線路延長は150km、青函トンネルをはさんでの一部区間は新幹線と貨物列車が走行するのだが、その為に現在のレールの外側にレールを一本増設して1435mmの広軌とするそうだ。さて建設費については、青森−函館で5000億円弱、青森−札幌の総額では1兆6000億円と試算されているようだが、これをどう考えるか。北海道庁の言い分は「日本の国土軸を形成し国土の均衡ある発展を目指すものであり、安全で良質な食料供給基地の役割を考えても、新幹線は必要不可欠」とある。加えて九州の博多−新八代間が完成すると札幌−鹿児島が新幹線で繋がるわけだが、一方で青函トンネルの老朽化が大きな問題とも言われているのは大変気掛かりである。永く後世に残る国土資産と考えているので、私は札幌−鹿児島新幹線に賛成なのだが、我国土木工学の総力を挙げて立派に仕上げてもらいたい。
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