1 熊野山中十津川村                      

 「紀伊山地の霊場と参詣道」(熊野古道)が平成十六年七月世界遺産に登録された事もあって一度歩いてみなくてはと思っていたが、しばらく運動不足気味でもあったし思い立ったが吉日と、昨年四月急遽一泊二日で敢行する事になった。土曜日の朝六時に家内の運転で宝塚を発ち、高速道路を乗り継いだ後、奈良県五條市から国道百六十八号を延々と南下して奈良県南部の十津川村に入ると、まず十津川一の観光名所「谷瀬の吊り橋」に辿り着く。川の流れからの高さは五十八米、長さ約三百米、木の板三枚を対岸迄並べた、昭和二十九年完成の生活用吊り橋だが、一度に二十人以上は入らないようにとの事。朝早かったので最初は誰も居らず一人で橋の中央まで歩いて行ったのだが、そのうち観光バスがやって来て直ぐ定員一杯になった。休憩をそこそこに切り上げて更に南下し、十津川温泉旅館吉乃屋に着いたのは十時半、荷物を置き、旅館のお兄さんに登山口まで送ってもらって、古道を歩き始めたのが十一時すぎだった。
 熊野本宮に通ずる古道としては中辺路(ナカヘチ)・小辺路(コヘチ)・伊勢路・大峰奥駈道(オクガケミチ)の四道があるが、今回は紀伊半島の山岳地帯をほぼ一直線に縦断する全長約七十二キロ米の「小辺路」、そのほんの一部三キロ米強を登って下りる計画だ。十津川温泉から登って最高点の果無峠(ハテナシ)まで行ってもいいのだが、特段展望があるわけでもないようなので、途中の観音堂までとする。それでも標高差は七百米もあり、我々にとっては立派な登山である。最初の急な坂道を登って尾根に出るとそこは数軒の果無集落だ。採って来たゼンマイを一本〃〃整理しているお婆さんとしばらく四方山話、縁側に置いてあった蕨一束を三百円で分けてもらう。集落の中にある世界遺産登録の記念碑の横を過ぎてまた森の中の参道を行くと、「天水田跡」・石垣が残る「山口茶屋跡」に出る。この水田はその昔茶屋の住人が雨水だけで耕作したのでそう呼ばれているそうだ。ここでの二十分の昼食休憩後、再びきつい坂を登ると物置小屋程度の果無観音堂に着く。ここには水場があり、二本のホースからの勢いのいい冷たい清水を頭から被る。熊野側から果無峠を経て降りて来た中高年十人程度の一行があり、三日間の予定で高野山まで行く小辺路完全縦走だそうな。我々は午後二時に下山開始。参道にはいくつもの観音石仏が並べられていて微笑ましく、途中で並んで写真を撮ってもらった。最初の登山口に帰って来てしばらく林道を歩くと、去来の立派な句碑に出会う。「つづくりもはてなし坂や五月雨、〜大和紀伊のさかひ、はてなし坂にて往来の順礼とどめて奉加すすめければ料足つつみたる紙のはしに書き付け侍る」。つづくりとは、繕う事だそうで、言わば道普請、巡礼の人々からの寄付でこの古道が出来たようである。予定どおり四時半、吉乃屋に帰還。山影を映したエメラルドグリーンのダム湖を眼前に、満開の桜の中の露天風呂につかる。対岸の急峻な山の樹林が迫って来、深山幽谷秘境で鶯が鳴き交わすのどかなひと時である。紀伊半島の山襞が深く刻まれた仙境に湯煙を上げるこの十津川温泉は、元禄年間に炭焼きの村人によって発見され、奈良で数少ない正統派の名湯と言っていいが、昭和三十七年十津川を堰き止めた二津野(フタツノ)ダム(発電約六万キロワット)が完成して以来、一躍脚光を浴びるようになったそうだ。 
 翌朝は車で半時間の玉置山(一〇七六米)に向かう。関西百名山の一つで、本来なら一日がかりの登山ルートなのだが、今回は頂上直下の玉置神社参拝が目的なので車で行く。広い駐車場がありそこから歩いて二十分で境内に着く。霧模様でそれが又霊峰に相応しい。崇神天皇の時代に「王城火防鎮護」と「悪神退散」の為創建されたと伝えられているが、八五八年以降神仏混淆となり、役行者弘法大師・智証大師などがこの地で修行したとある。ここは吉野から山上ヶ岳・大普賢岳・弥山・八経ヶ岳・釈迦岳そして最後に玉置山を経由して熊野本宮大社に至る全長百七十キロ米の奥駈道の最後の山であり、神社境内の神代杉は樹齢三千年とも言われ、胸高幹囲約九米・高さ四十米と表示されている。重要文化財社務所の他十余りの建物があり、最後に杉の一枚板に描かれた狩野派の華麗な襖絵を見せて貰って辞し、山上迄一旦登ってから下り道を駐車場迄降りる。初夏の石楠花が見事との事、もう一度その時期に訪ねたいものだと思いながら十津川温泉まで戻る。帰路は一旦南下して熊野本宮大社に出た後、龍神村高野山橋本市経由で帰宅したのだが、観光・温泉・軽登山・神社参詣などかなり効率のいい週末であった。(平成十八年一月、昨年四月の記録に基づく短文)
[自己紹介]
昭和十二年横浜生まれ。終戦後平塚に移り、小中高の時代を過ごす。東大機械工学科卒業後、昭和三十五年住友金属工業入社、中央技術研究所勤務、専門は鉄鋼圧延・計測制御・コンピューター。平成七年専務取締役退任、同年共同酸素社長。現在(株)エアウォーター社長。趣味は小園芸・軽登山・近現代史復習