南京大虐殺のまぼろし                   

 エドガースノーの名著?「中国の赤い星」(1937年)は毛沢東に利用されたプロパガンダに過ぎなかったと今では言われ、沖縄戦集団自決も「旧軍の命令で住民が自決した」とする従来の定説はほぼ否定されているなど、歴史の嘘が明らかにされつつある中で、亜細亜大学東中野修道教授著「南京事件、国民党極秘文書から読み解く」(草思社2006)の書評が目に留まった。『これまで「南京大虐殺」(1937年12月)の証拠とされて来た英国紙中国特派員の著書「What War Means戦争とは何か」の内容は「大虐殺」の証拠になり得ない』とする研究成果をまとめた著書で、書評によると要点は次のとおり。『教授は三年前、台湾の国民党党史館で党の宣伝工作を記録した「中央宣伝部国際宣伝処・工作概要」を発掘、この「戦争とは何か」は本宣伝処が編集印刷した対敵宣伝書籍であるとする記述を発見、この「工作概要」と「戦争とは何か」の対比検証を行って来た。中央宣伝部は1937年12月1日から38年10月まで外国人記者を対象とした記者会見を約300回開いていたが、「南京大虐殺」は一度も報告されていない、「戦争とは何か」に記載されている4万人不法殺害の報告が、同時に出版された漢訳版「外人目撃中の日軍暴行」には見当たらない、などなどの疑問点が次々に浮かび上がった』。 東中野氏は正論7月号に「南京大虐殺という虚構宣伝の全容と教科書のウソ」を書き、平成17年検定済の殆どの歴史教科書に、…日本軍は首都南京を占領したが、その際20万人とも言われる捕虜や民間人を殺害し暴行や略奪も後を絶たなかった為、厳しい国際的非難を浴びた、と依然として記載されていることに注意を喚起し、文科省はこの記載にストップをかけ、その記載を見送るのがごく普通の判断であろうと主張している。
 これをきっかけに関連図書を調べてみると、まず鈴木明氏の著書「南京大虐殺まぼろし」が重要文献とわかった。これは1983年に文春文庫として出版されたものの絶版となっていたのだが、たまたまこの6月にワック社から復刊されたので早速見てみると、第1章は、昭和46年11月5日朝日新聞に掲載された本多勝一氏の「中国の旅」のうちの、南京事件における「競う二人の少尉」のくだりから始まる。南京入城に先立ち、どちらが先に軍刀で百人斬るかを争った、という話であり、著者は「ちょっと待てよ」と思って、昭和12年12月前後の新聞をしらみつぶしに調べにかかった、とある。第2章は二人の少尉の一人、向井少尉に関してである。復員した少尉は昭和22年春市ヶ谷の軍事法廷の検事局に呼び出され、百人斬りについての尋問を受け、結局南京軍事法廷で宣告後銃殺されたのだが、著者は向井少尉の親族はもとより、事件当時の新聞記者、軍事法廷の裁判長を探し出し、詳細な面談内容を記録している。結局のところ真相はわからないと著者は述べ、「日本軍が国民政府の首都南京を攻め落とした時、中国側に、軍民合わせて数万人の犠牲者が出たと推定されるが、その伝えられ方が当初から余りに政治的であったため、真相が埋もれ、今日に至るもまだ事件の真相は誰にも知らされていない」と締めくくっている。
 南京大虐殺が最初に世界に知らされたのは前述の単行本「戦争とは何か」(1938年)によってであり、次は1946年の東京裁判、三度目は日中国交正常化が叫ばれて前述の「中国の旅」がきっかけとなった1972年前後、そして最近はアイリス・チャン「ザ・レイプ・オブ・南京」(1997年)である。あまりにも中国に阿った朝日新聞によるミスリードに大いに関連ありと考えるが、この間1985年に建設された南京大虐殺記念館など中国側の攻勢は強まる一方の中で、我国では東中野氏以外にも何人かの学者による真相究明の努力が続けられて来て、櫻井よしこ氏によれば「大虐殺が事実であったとする根拠は決定的に崩れ去っている」という。歴史教科書の改訂を即刻進めてもらいたいし、国際的な共同研究により歴史事実の共有化を図るべきと私も考える。