松本健一の「Asian Common House」構想

 松本健一氏(1946年生まれ、東大経済卒、麗澤大学教授、近代日本・アジア精神史研究の第一人者)は1998年中央公論社から発刊された「日本の近代」シリーズの第一巻「開国・維新」(黒船来航以来15年の動乱、日本人の英知と勇断を描く)の著者であり、保守派の逸材と、私は日頃から注目していたので、書店で新刊「日・中・韓のナショリズム――東アジア共同体への道」(第三文明社)を見つけて、早速買って読んだところ、首相の靖国参拝反対だとか書いてあるので、正直びっくりしてしまった。著書の概要は以下の通りであるが少々甘くないかなー。
(1) まえがき: グローバル化の時代にあってナショナルアイデンティティのない民族は存在意義を失うのだが、いかなるナショナルアイデンティティを確立するかが問題だ。日中関係で言えば、日本は小泉時代になって米国追随の姿勢を強め、アジア侵略という歴史的記憶を希薄にしているし、一方中国は経済発展によって大国意識・覇権主義を強めている。両国間には激しい対立と衝突が生まれている。解決策があるとすれば、小泉政権の米国追随の中止、中国は国内矛盾回避の為の「外に敵を作る」施策の中止である。それを実現する為に、アジア共同の家という常設機関の設置で交流を図っていく事が大切だ、と著者はいう。
(2) 靖国問題: 大東亜戦争の二面性に思いを致す必要がある。一つは米英に対する帝国主義国家「間」戦争という側面、二つ目はアジアへの侵略戦争だ。侵略戦争を起こした責任が問われるにも拘わらず、この責任を無視して日本人がA級戦犯を『神』として祀るという事は、中国の人々にとっては耐え難い事なのではないか、と言い、更に国民を死に赴かせた、その責任をとらなければならない人が、国のために死んだ人達と同じように祀られているとなると、日本人も割り切れない気持ちになるのではないかと、松本氏は考える。(この辺、私は少々違う)
(3) 歴史教科書問題: 「新しい歴史教科書」の場合、日中戦争もこれが起きた責任は中国にある、日本は仕方なく戦争を始めたのだという認識がある。著者は、あの戦争はきちんと侵略戦争であったという認識を持つべきという。(この点も私は若干異なる歴史認識だ)
(4) 領土問題: ナショナリズムを超える動きには二つの大きな潮流があり、一つはグローバリズム、もう一つはパトリオティズム(郷土愛)だ。ヨーロッパはEUを結成し、ナショナリズムを超えてヨーロッパ全体の利益を考えようとしている。日本もアジアの中にあってはテリトリーゲームの時代を超え、どうすれば軍事・経済力を超えた形で民族の誇りを取り戻せるか、を考えなければならなくなった。中国はじめ漸く国民国家としての成熟時代を迎えようとしているアジアの国々はどうか。彼らは国民国家への歴史を歩み出して30年、ヨーロッパが200年、日本が100年の歴史を持っている事を考えると、アジアがナショナリズムを超える新たな国家原理の必要性を実感するようになるには、もうしばらくの時間が要るのかもしれない。
(5) 憲法改正: 「戦争を放棄する」と宣言しつつも、国民の生命・財産・安全を守る為に他国からの侵略は許さない、と宣言しなくてはいけない。国家の原理としての憲法とその国を支える人間の教育というのは、表裏一体をなす原理だから、教育基本法の見直しが言われるのは当然。現行の教育基本法の理念である「個人の尊厳」のみを重んじた考え方に松本氏は疑念を持っていて、教育においては、自分の国に誇りを持ち、自分の国に責任を持っていく日本人をつくっていく事が大切、個人の尊厳という概念だけでは不十分だという。(ここは賛成)
(6) ナショナリズムを超えて: 自分の権利を守っていくという西洋近代の民主の理念に対し、ヒマラヤの水は誰の物でもないと考えるアジア的農耕文明では、様々なものを共有し、動物や植物とも「共生」していく価値観で長らくやってきた。こういう新しい文明の理念を考えていく事も、アジアン・コモンハウスでなら可能と考える、と松本氏は結んでいる。