小泉純一郎論                      

新刊「ニヒリズムの宰相・小泉純一郎」(御厨貴東大教授著、PHP新書)は、序章:三つのタブー(憲法天皇靖国)が無くなった、 第一章:選挙を好感度調査にした男、第二章:数の政治から劇場型政治へ、第三章:小泉内閣の歴史的な意味、第四章:なぜ小泉政治は面白いのか、第五章:小泉劇場のライトモチーフとなっているが、第三章を中心に私見を交えながら要約する。
(1) 革新側の統一に危機感を感じ保守側も合同して自民党を作ったのが1955年、日米安保条約改定を60年に果たして後、所得倍増スローガンと低姿勢の池田内閣が4年4ヶ月、そのあと7年9ヶ月で沖縄返還などを含めて佐藤内閣が自民党政治の基礎を築いたのだが、次の田中(1972年〜)からの5内閣の時代十数年は権力闘争だけが進んだと言われる。次の中曽根政権が「戦後政治の総決算」をスローガンに1982年から5年続いて成果を挙げたのだが、1987年11月から2001年4月の14年7ヶ月の間は、竹下氏から森氏まで10人の総理が入れ替わり登場して方向性が定まらず、バブル崩壊後の迷走を含めて自民党政権の「危機の十年」が始まったのだった。
(2) あらゆるサプライズの結果としての小泉自民党の誕生は主として「野党転落への危機感」に基づくものだったが、本人は、長年の自民党の文法とも言うべき「調整の政治」とか「緻密な配慮」とは無縁で、党組織自体に何の愛着もなく、総裁ではなく総理であるとの観点から内閣主導の政策を進め、55年体制を崩し開発・土建政治に決別しようとしている。ある種のニヒリズムを伴う三無主義(説得せず、調整せず、妥協せず)を破壊力の源泉として堂々と裸の王様を演じている。小泉・竹中経済改革にも一定の評価が与えられるが、小泉が目指したものは自民党田中派的なもの(橋本派主体の抵抗勢力)を徹底的につぶす事だったと御厨教授は言うし私もそう考える。
(3) 元日経新聞記者の田勢氏は小泉首相を「気骨のある異端者」と評していたが、私はその家系を調べてみた。曽祖父はとび職人、「小泉組」の棟梁、祖父又次郎はその家督を継ぐが政治家を志し、民政党の大物政治家として普選に尽力し衆議院議長まで登りつめたが、小泉首相はこの祖父を尊敬していたという。又次郎の一人娘に養子として入ったのが薩摩隼人の旧姓鮫島純也で保守合同を成し遂げ防衛庁長官となった。その子、純一郎は父の急逝で立候補するのだが落選、福田赳夫に師事、下足番から始める。 田中内閣が出来た1972年に衆議院議員に当選(以来12期連続当選)したが、その後1976年に福田内閣が出来るまで熾烈な角福戦争の中にあって派閥政治からの脱皮を叫んでいた。こう見て来ると御厨教授はじめ大方の論者が言う「小泉は政策の実現より、自民党の古い体質の破壊という政治改革を目指したのであり、それには成功した」が納得出来る。小泉さんは郵政民営化以外の政策知識も、また政治・経済に特段の見識も無く、外交もブッシュとの友情一筋であったが、一点突破の為には実はそれで良かったのだ、と私は思っている。
(4) 小泉は変人であって、次の人は「まともな総理」に戻って欲しいという期待が党内にはあるようだが、もはや昔に戻る事は出来ない、事態は不可逆的だというのが教授の見解。国民はいつも新しい図柄を見たがるし、同時に自分たちの利益も主張するといった貪欲な選挙民の支持を得る為には、これからの政治家は全速力で走らなければならないし、組織の調整能力ではなく説得の為の言葉を持たなければならない、と言う。更にこの傾向は欧州で言われ始めている「大統領化現象」と似ていて、議会の多数より、人気と権力を支えにして政治を進める傾向は我国だけでないようだ。これからは党を選ぶ選挙でなく、総理を選ぶ選挙になり、リーダーは気力・体力の充実した若手にならざるを得なくなろう、も同感だ。
(5) さてこう見てくるとポスト小泉の役割だが、55年体制の悪弊が50年経って一掃されたわけで、今後50年は通用する国家運営の基本、「確かな国家観」を国民に提示し一丸となって推進できる馬力であろう。靖国だ! 10%だ! と話を矮小化しては小泉5年間が無駄になってしまう。