日米双方から撮った硫黄島の激戦                   

クリント・イーストウツド監督・渡辺謙主演の新作映画硫黄島からの手紙(Letters from Iwo Jima) を年末に観たが、実戦さながらの戦闘シーンはさすがハリウッドと圧倒された。昭和20年2〜3月、栗林忠道中将率いる硫黄島守備隊(写真1番目)は、100隻以上の米艦隊からの猛射の後、続々と上陸する米軍(写真2番目)を、半年かけて掘り続けた坑道18kmの地下壕にこもって迎え撃ち、一日でも本土空襲を遅らせようと世田谷区の半分もない孤島(写真3番目、中央は千鳥飛行場)で35日間抵抗し、靖国での再会を誓って玉砕した。3月16日最後の総攻撃に際し、大本営宛に打った栗林の訣別電報は『戦局最後の関頭に直面せり……、今や弾丸尽き水涸れ、全員反撃し最後の敢闘を行はんとするにあたり、皇恩を思ひ粉骨砕身も亦悔いず。 国の為重きつとめを果たし得で 矢弾尽き果て散るぞ悲しき』であった。伊豆七島の系列の、東京から1200km南のこの島は、摂氏60度の高い地熱・噴出する硫黄ガス・飲用水は雨水のみという過酷な自然環境下にあり、戦闘の結果は、戦死者日本軍20,129、米軍6,821、戦傷者日本軍1,020、米軍21,865という凄まじさであった。
硫黄島の死闘についての本は何冊もあるが、ノンフイクシヨン作家梯久美子氏の「散るぞ悲しき」(2005年)が一番新しく、主演の渡辺謙は「撮影中、この本を手放す事は無かった」と言っている。更に著者は文芸春秋2月特別号にも、遺体も見つかっていない将軍の最後の数時間について書いている。
 さて米国側はどうだったか。硫黄島上陸一週間後、摺鉢山の山頂に星条旗を掲げようとしている6人の兵士を撮った有名な写真(一番下)があるが、この中の一人ジョン・ブラッドリーの息子さんにより、「この世界的に有名な戦争写真の裏側、国家に翻弄された父親たちを追う、屈指のヒユーマンドキユメンタリー」として評判のFlags of Our Fathers(父親たちの星条旗)が2000年に出版され、同名の映画が冒頭のものと同じ監督で同時期にハリウツドで制作され公開された。硫黄島の死闘について片や日本側からの視点で、片や米国の遺族の視点で取り上げられたわけである。
戦闘シーンに圧倒されればされる程、見終わって残るのは言いようも無い虚しさであり、庶民兵士を戦場に追いやる国のリーダーの責任の重さである。