安倍首相の保守主義に期待する                

中央公論2007.2月号で京大教授佐伯啓思氏は「日本の戦後保守主義を問う」と題して、「保守とは何か」から論じ、結論として、安倍政権の右足は日本の伝統という本来の保守の方を向き、左足はアメリカ的進歩主義の方を向いて歩み出そうとしている、この独創的な歩行の態勢を、バランスを保ちつつ完遂する事は至難の業のように見えると心配?している。以下は論文の要約。
(1) 従来、「自民党保守政党」と言った場合の意味は、戦後の平和憲法のもとで経済成長を目指し、パイの配分を差配しつつ社会の秩序を維持すると言うものだった。すなわち、自民党は、社会主義勢力に対抗する為に、戦後秩序を維持して現状の変革を出来るだけ避けると言う意味で、保守政党だった。ところが、小泉首相の登場によりこの種の保守は「抵抗勢力」と烙印を押され、小泉自民党は革新的政党になってしまった。そこで事態が混乱してくる。安倍首相の保守とは何なのか、旧来の自民党的なものへの回帰なのか、小泉継承の変革なのか、という疑問が出てくる。
(2) そもそも保守主義とは何であったか。自由・平等・人権と言う「普遍的理念」に基づいて社会秩序の革命的大変革を敢行しようとしたフランス革命の中に、エドマンド・バークは恐るべき愚行と野蛮を見て反対した。個人の自由や平等やその他の人間の権利は、国や地域といった共同体が持つ暗黙の慣習や受け継がれて来た文化などとバランスが取られるべきであり、合理的な啓蒙的理性の名による社会改革ではなく、伝統的で非合理なものの効用を重視し、イギリスの上層階級の持つ文化や倫理観、宗教意識の保持こそが文明を破壊から防ぐとバークは述べた。ここに「保守主義」が誕生し、今日までイギリスの価値意識の中心となっている。
(3) フランス革命自由主義社会主義(急進的平等)・保守主義と言う三つの思想を生み出したのだが、保守主義を打ち破って近代の進歩が始まったのではなく、社会秩序の変革が合理的なものとして自明視されるに至って初めて、そうでは無かろうとの立場から保守主義が登場するのであり、言い換えれば、近代における最も「反体制的な思想」こそが保守主義に他ならないのである。
(4) 佐伯教授は更に保守主義の内容を各種文献の引用によって解説しているが、保守主義の要素として、(イ)抽象的理想よりも現実にある具体的で身近なものへの愛好、(ロ)合理的な社会設計よりも非合理的な慣習の中にある安定したものへの信頼、(ハ)家族や地域や自発的集団への愛着、(二)国際的グローバリストであるよりも節度ある愛国心を持つ事、(ホ)強力な国家主義・自由放任的な個人主義・市場中心主義などへの懐疑、(へ)自由や民主主義の絶対化・普遍化に対する警戒、(ト)民主主義が陥りがちな大衆化・大衆迎合政治への批判、などを挙げ、その心象は、ヨーロッパ社会の基底を現代に至るまで確実に貫いているものだと言う。
(5) この後佐伯教授はレーガンネオコンなどアメリカの保守について語る。アメリカの建国の精神は(a)個人的自由と民主主義、(b)憲法や連邦制の背景となった共和主義、(c)入植者のプロテスタンティズムだが、これらはイギリス始めヨーロッパから見れば「革新的」な思想信条であり、イギリスの保守主義とは大きく異なったものであるというのが結論だ。そしてもはや社会主義が「革新」思想でなくなった今、アメリカが最も「進歩的」な国家となってしまったと言う。
(6) 「本来の保守」が前述のようであるとすれば、国への帰属意識はもとより、いかなる国が望ましいかという論議さえ排除して来たのが戦後民主主義だから、戦後の我国に本来の保守は無かったと言える。その点の見直しが安倍政権の「美しい国づくり」であろうし、それはもちろん期待される事なのだが、アメリカは「本来の保守主義」国家ではないので、アメリカ型の進歩主義が「美しい国」を、今までもそうだったがこれからも、ますます破壊してしまう事は十二分に想像出来ると教授は心配し、冒頭のような懸念を表明しているのだ。日米同盟強化は我が国にとって最重要事なので、何とか両立させてもらいたい、というのが私の素人読後感想である。