人間魚雷「回天」                     

 3月中旬の日曜の周南カントリーでの懇親ゴルフに参加するのだが、前日の午後を現代史復習に当てるべく土曜日から出発して徳山に向かう。駅前すぐのところに徳山港があり、巡航高速船に乗って南西10kmに浮かぶ細長い大津島に向かう。目指すは人間魚雷「回天」発射訓練基地跡である。定員約50人の定期船の船客は地元の人ばかり十数人、よそ者は私一人のようである。穏やかな陽射し、無風に近い瀬戸内海の30分の船旅で終点の馬島に着く。小さな食堂でアジのひらきとおにぎり二つの昼食(250円)をとり、菜の花が咲くのどかな美しい島を十数分歩くと目指す基地跡に着く(写真上)。標示板の説明は次のとおり。『この回天発射訓練基地跡は、昭和14年に建設された「九三式酸素魚雷」の発射試験場を、人間魚雷回天の発射訓練に活用したもの。……この酸素魚雷を改造して人が一人乗れるようにした回天は、長さ14.7m、直径1m、全重量8.3t、推進力550馬力、最高速度30ノット……呉海軍工廠昭和19年2月試作に着手、5ヶ月で3基の試作回天を完成、正式兵器として採用され、9月からこの施設で訓練が開始された』 
現場を見学後、高台にある回天記念館に向かう。写真下は記念館前の実物の回天で、近くには機関部が開示されていて『燃料の石油が噴霧状で供給され、酸素が加えられて燃焼し、そこに海水を噴射する事で水蒸気を含む高圧混合気体が発生、これでピストンを駆動する』と説明されており、なるほどとは思うものの、今から60年以上も前に、しかも短期間で、よくぞこんなエンジンを実用に仕上げたものだと驚嘆。 実戦では、潜水艦の前後甲板に計4〜6基が固着されて出撃し、戦闘現場に近づくと自力で発進し、潜望鏡を使いつつ標的に突入する。 頭部に1.6トンのTNT炸薬を搭載しているので、命中すれば大型艦船でも一発で轟沈させる破壊力があった、という。出撃の記録を見ると、第1回は昭和19年11月8日、被搭載潜水艦はイ36・イ37・イ47の3基、作戦海域はウルシー・パラオ方面とあり、最後の第28回は昭和20年8月16日、何と終戦の翌日だがさすがに翌々日帰投している。この間訓練を受けた回天搭乗員は1375名に及び、大多数は20歳前後の若者、戦没者は搭乗員・整備員など145名と言われている。記念館にはこの145人の回天烈士遺影の他、遺書・手紙・軍服・遺品が展示されていた。
帰りの船を徳山港で降りて「出口のない海」という映画のポスターに気づき、帰宅後調べてみると、昨年7月に出版された(横山秀夫著・講談社)同名の小説を山田洋次が脚本化し、主役は市川海老蔵の新作映画であった。甲子園の優勝投手・並木浩二は、大学進学後も野球への情熱に燃えていたが、日毎に激しさを増して行く太平洋戦争を思って海軍に志願し、ついに回天への搭乗を決意して行くという、命の重み・青春の哀しみを描く感動の戦争青春映画だそうだ。回天とは「天を回らし、戦局を逆転させる」という願いの命名だそうだ。とんでもない兵器ではあるが、祖国と愛する者達の為に命をかけた若者の想いは永く語り継いで行かねばならないだろう。
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