8 教育再生法案の成立を喜ぶ      

 平成十八年十二月二十二日に公布された「改正教育基本法(十八条)」に引き続いて、今年十九年六月二十日参議院本会議で「教育再生三法案」が可決され成立した。これこそ安倍内閣の掲げる「戦後体制からの脱却」への大きな一歩であり、戦後一年半という早い時期(昭和二十二年三月三十一日)に公布・施行された十一条からなる旧教育基本法の成立過程から復習しておきたい。参考資料は「正論」(平成十八年六月号)に掲載されている日本会議専任研究員の江崎氏の論文である。
 日本政府は終戦後直ちに、戦時中の「軍国主義教育」の全面見直しと、「平和国家建設」に向けて自主的に教育改革に着手(「新日本建設の教育方針」として発表)したのだったが、「降伏後に於ける初期対日方針」を遵守するよう命じられているGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)としては、自主的教育改革を認めるわけには行かず、容赦ない命令を出しつつ自らの政策に迎合する日本人グループの形成に取り掛かり、進歩的文化人が結集した「日本教育家委員会(南原繁委員長)」をまず作らせた。この委員会のメンバーが中心となって新設されたのが「教育刷新委員会(安倍能成委員長、南原繁副委員長)」だが、GHQは教育改革の主導権が文部省ではなくこの刷新委員会にある事を命ずる。「文部大臣が原則について何も決定出来ないなら、議会での質問に対する答弁も困難だ」と田中耕太郎文相は抵抗するが、南原副委員長はGHQの方針に全面的に賛同し、結局文部省は刷新委員会の下請けに過ぎない事が決定される。もう一つ「連絡委員会」が設置されたのだが、これは刷新委員会・文部省・GHQの連絡調整にあたる、となってはいたが、英語では「Steering Committee」であり、全体をGHQがリモートコントロールするために作られたのであった。このような準備の後、GHQ教育基本法制定に着手する。
 まず文部省はGHQの顔色を窺いつつも先手を打って要綱案を教育刷新委員会に提出した。この段階で既に「愛国心の涵養」という趣旨が見られなかった事に対し、天野貞裕一高校長は「ただ自分の為に生きるのではなくして、社会国家の為にとかそういうものを入れたい」と主張したが、日教組の「教師の倫理綱領」作成に協力した務台理作学長と社会党の森戸辰男議員は反対し、天野の趣旨は消えた、という。またGHQは男女共学についての積極的な言及を要求したので、文部省は「男女はお互いに敬重し、協力し合わなければならないものであって、両性の特性を考慮しつつ同じ教育が施されなければならない」としたところ、GHQは了承せず下線部は削除される。次は教育行政の項目であるが、文部省に案を作らせても満足出来る表現が出て来ないのにしびれを切らしたGHQのT教育課長補佐は「Education shall not be subject to political or bureaucratic control」とするように通告したという。最終的には悪名高い第十条「不当な支配に服する事なく」という表現になってしまったようだ。更に、前文にあった「…伝統を尊重して…」についてT課長補佐は削除を命じたが、後日その点を問われたT氏は「当時の通訳が、伝統の尊重とは再び封建的な世の中に戻る事を意味する、と述べたからだ」と削除を命じた理由を説明したという。

さて以上のようにGHQの影響下で制定された教育基本法の内容であるが、まずその前文の中核の文章が「我らは個人の尊厳を重んじ、真理と平和を希求する人間の育成を期すると共に、普遍的にしてしかも個性豊かな文化の創造を目指す教育を普及徹底しなければならない」となっている事からして、天野貞祐氏の指摘の通り我々にとり違和感の強いものであり、例えば中曽根元総理は「教育基本法を根本から見直す必要がある。基本法には国家・郷土・家庭・文化・歴史と言う言葉が出て来ない。これらの言葉を入れた基本法を制定する必要がある」と述べている。 国家及び社会の形成者としての国民に対する教育だと考えれば、中曽根氏の問題提起は至極当然の事と私も考える。
 一方、戦後の我国がいわゆる偏向教育に毒されて来たとの視点で、この教育基本法の問題を論じている高崎経済大学助教八木秀次氏は、問題の淵源は第十条にある、と言う。(「教育改革は改革か」土居健郎編、PHP) 第十条には「教育は、不当な支配に服する事なく、国民全体に対し直接に責任を負って行なわれるべきものである」とあり、別途解説書に依れば立法者の意思は、戦前の国家主義軍国主義的教育に対する反省から、教育内容に対する教育行政の干渉を戒める事にあり、「学校や個々の教師が自律的に学校運営や教室運営をして行く事を想定した」となっている。一方で国家をもっぱら悪しき存在と想定しながら、他方で無邪気にも学校や個々の教師を全き善なる存在であると想定し、国家の干渉や統制を排して学校や個々の教師に自律性を与えさえすれば、理想の教育が行なえると考えている。このような偏向した立法者の意思は戦後の教育法学によって更に捻じ曲げられ、教育法の代表的な概説書、兼子仁氏の「法律学全集・教育法」は、『文部省の学校監督権や教育委員会及び私学理事会の学校管理権による法的支配こそが何よりも[教育に対する不当な支配]として禁じられ、教員の教育権は教育課程編制権・教材決定権・成績評価権・児童生徒懲戒権など広い範囲にわたる』と言う見解を示し、昭和三十・四十年代の我が国の教育法学界に絶大な影響を与え、学校・個々の教師を聖域化して行ったのだ、と八木氏は述べる。
 この傾向に「待った!」をかけたのが昭和五十一年の最高裁判決であり、文部省や教育委員会による教育現場に対する管理・統制は第十条の禁ずる「不当な支配」に当たらない事が司法判断として明確になり、偏向教育是正のチャンスが与えられたのだが、一向にそれを生かせず、現在まで依然として大きな問題として残っているようだ。教育行政当局や学校長の主体性欠如が問題を起こす最大の要因であると共に、何より教職員団体が、依然としてとっくに破産した社会主義共産主義の影響下にあるからで、教職員団体の再生無くして教育の正常化はあり得ないと、八木氏は結論する。 私も同感である。

 さてそのような指摘がありながら遅々としていたのだが、ようやくにして平成十二年、教育改革国民会議森喜朗首相に「教育基本法の見直しが必要」と最終答申し、また平成十五年には中央教育審議会答申で「愛国心や公共の精神の涵養などを盛り込んだ教育基本法改正」の提言があって、平成十八年には与党協議会が改正案の決定にこぎつけ、最終的に、冒頭に記した如く十八条の改正教育基本法が成立したのであった。前述した旧前文に比し改正法では「平和を希求し、でなく、正義を希求し」と変わり、「公共の精神を尊び」「伝統を継承し」が追加された。論議があった愛国心については「伝統と文化を尊重し、それらを育んで来た我国と郷土を愛すると共に……」となり、教育行政に関する「不当な支配に服することなく」は残念ながら残ったのだが、「教育はこの法律及び他の法律の定めるところにより行われる」が付加されて日教組の横暴を完全に阻止する事が可能になった。
 この基本法に続いて今般成立した、冒頭に述べた教育再生三法案だが、正式の名称は長たらしいので略称で言えば、?学校教育法改正案、?地方教育行政法改正案、?教員免許法改正案、であり、今年七月二日産経新聞正論欄で前述の八木氏は、文科省の関連文書を引用しつつこの三法の意義を次のように評価している。まず?だが、「教職員組合が、『民主的な学校づくり』の名のもとに、いじめ問題への対応などを、教育委員会や校長の指示ではなく、職員会議で処理してしまっている。リーダーシップを発揮すべき校長先生が、逆に孤立させられるといった不適切な学校現場の実態は正さねばならない。(中略)この為、副校長や主幹教諭といった新しい職を置く事により、校長先生を中心に、各教員が適切な役割分担と協力の下で、子供たちと向き合い、保護者や地域社会の期待に応えられる事を目指す」となるそうだ。次に?だが、村山政権で路線が敷かれた地方分権の影響で教育も分権され、文科省は地方教委への権限をほぼ失った。それは平成十二年の事だが、文科省は教委にものを言う事が出来なくなったのだ。今回の改正はそれを是正して、「教育委員会未履修問題を放置したり、国旗・国家を指導しないなどの著しく不適切な対応をとっている場合には、文部科学大臣が具体的な措置の内容を示し、是正の要求が出来るように法律上明記し、国が責任をもって対応出来るようになる」そうだ。 ?の教員免許更新制の導入も教育正常化に資するものだ。「いわゆる不適格教員が、公務員という身分に守られ、教壇に立ち続ける事は、子供たちには勿論、日本の将来にとって不幸な事だ。不適格教員を教壇から確実に排除するべく、人事管理を厳格に行う事になる」そうだ。

教育三法の成立はこのように一部教組に事実上支配されて来た戦後教育のレジームを画期的に変えるものであり、安倍政権九ヶ月の成果として高く評価したい、と八木氏は言う。私も全く賛成である。これらを基に戦後の諸悪の根源とも言うべき偏向教育の一掃を推し進め、教育勅語の大切な部分[父母に孝に兄弟に友に夫婦相和し、朋友相信じ、恭倹己れを持し、博愛衆に及ぼし、学を修め業を習い以って知能を啓発し、徳器を成就し、進んで公益を広め、……]を復活して国民全員がこれを実践する「美しい日本」を目指したいものである。(平成十九年七月)