10 福寿草の山々

                  
[その一:藤原岳
春に行きたい山の定番は「福寿草が満開の藤原岳(一一七一m)」と言われているそうで、以前から家内の勧誘を受けてはいたものの、標高差一一〇〇mは昨今私には容易ならざる高さであり、やや逡巡していたのだが、明日は好天のようだし、今から老い込んではならじとわが身に鞭打ち参加する事とした。そこは名古屋から西へ四〇km、関が原から南へ二十km、滋賀・三重県境に沿い南北に連なる鈴鹿山脈の北部に位置する石灰岩の山だ。日曜の朝五時起床、五時三〇分出発で名神高速道路を関が原IC迄行き、そこから国道三六五号を南下、七時三〇分聖宝寺前の駐車場に到着(標高一四〇m)、無人だが標示通り三〇〇円の料金を置き出発。山からの水で大小の鱒が育っている養鱒場を通り、裏登山道に入る。     
最初は三〇〇段程度の長い階段を登って聖宝寺に着くが、ここを抜けて行くと本来の山道となる。杉や檜の植林の中の暗い道がしばらく続くが、五合目を過ぎると植林地を抜け自然林となって辺りは明るくなり、六合目からは尾根筋となる。八合目近く迄登ると下山路に使う予定の大貝戸道(オオガイト―これが表登山道)が左から合流し、そこはちょっとした広場になっていて、少々貧弱だが福寿草も顔を見せているのでここで小休止とする(標高八四〇m)。ここ迄は一度も下りのない直登ばかりだったが、ここからはさすがにジグザグ道、残雪もありその為道も少々ぬかるむ。ペースもだいぶ落ちて喘ぎあえぎ登ると九合目、更に雪道を行ってやっとの事で無人の藤原山荘に到着した。大勢の人が休憩しているが、左が二〇分で展望丘(一一四〇m)へ、右が三〇分で天狗岩(一一七一m)との標示があり、天狗岩を往復する事とする。これが正解だったのだが、その途中で福寿草の群落に出会う。正月用のお目出度い花として鉢植えものが年末から出回るが、山に自生しているものは三月頃からが花期だ。花びらは十〜十五弁・放射状で、直径四cm程度の真黄色な花は陽射しに向かってしっかりと開いている。何組もの登山者があちこちで歓声を上げているが、我々も写真を撮りながら丁度十二時天狗岩に到着した。申し分ない眺めで、南に鈴鹿山脈の山並みが続く。
帰りは膝を庇って慎重に下りなければならず、早々に下山開始。八合目迄来て気がついたのだが、南東方向の隣の尾根筋を見ると同じぐらいの高さ迄車の通れそうな林道がある。あそこまで車が行けるのなら楽なのにな、と不思議に思ったのだが、後で調べてみるとそこは藤原鉱山の林道らしい。セメント原料の石灰の採掘を一九七五年迄続けていたようで今では誰も近づかないが、坑道も事務所も廃墟となってまだ残っているという。ついでに言えば、登山口の近くまで四日市市から三岐(三重・岐阜)鉄道が走っているが、これも石灰を運び出す為に一九三一年国策的に作られた路線だそうだ。最近は中部国際空港向けの埋め立て土砂の輸送も行ったと。分岐点から比較的楽な表登山道を下ったが、それでも途中から膝が痛み始めた。何人にも追い越されて格好が悪かったが、ゆっくりと庇いながら下山を完了した。案内書にあった自然科学館に立ち寄ると閉館直前だったが、「五分だけ」と言って見学させてもらう。三十三年前の開館で、藤原岳の動植物を紹介しているが、小さな町なのに立派なものだ。それにしても長年の懸案だった藤原岳を解決した一日だった。(平成十八年四月)

[その二:霊仙山]
藤原岳から一年半後の昨年(平成十九年)十一月のある日、次の土曜日は快晴との予報なので以前から「いつか行かねば」と期していた霊仙山登山を決行する事となった。藤原岳の時と殆ど同じ時刻に出発し関が原ICの一つ手前の米原ICで名神を降り、国道二十一号を東行して関が原方向に向かい、醒ヶ井駅前の交差点を右折して南下、その昔、会社の慰安旅行で行った事のある養鱒場(ここには霊仙山からの清水を利用した多数の飼育池があり百年の歴史がある)を過ぎて林道を行くと、登山口(五つある登山道の中の一つ・表登山道で頂上迄四km)に到着。十台程度の車の駐車が可能な広場だが、我々は二台目だ。これから頂上までの標高差は七〇〇mであり、昨今では我々の限界に近いので、膝サポーターをしっかり締めてのスタートは丁度八時だった。
過疎化無人集落となった廃村の榑(クレ)ヶ畑(壬申の乱に敗れた皇子が家臣と共に住み着いたとの伝説がある)を抜け、約三十分で尾根に出た所が二合目汗拭き峠だ。山道は枯葉が敷き詰められ、常緑樹の中に紅葉黄葉が混じり、それら木々の間から覗けるのは秋の青空、久しぶりの絶好の登山日和だ。しばらく行くといつ降ったのか枯葉が雪で蔽われるようになり、登りもきつくなったので、簡易アイゼンを付ける事とする。五合目の見晴台(七七〇m)を過ぎ、お猿岩に来ると風が無いので靄ってはいたが琵琶湖が展望出来、彦根・長浜の市街が見えた。八合目はお虎が池(小さな水溜り)で鳥居がある。そして総称して霊仙山となる経塚山(一〇四〇m)・最高峰(一〇九四m)・三角点のある峰(一〇八四m)が左から順に並んで見え、ここからはなだらかな登り斜面となり、且つカルスト地形の山特有のカレンフェルト・ドリーネが点在する。(石灰岩地域が雨水・地下水によって溶解して生じた特殊な地形を、これが多いスロベニア北西部のカルスト地方にちなんで、カルスト地形と言い、岩柱の林立した地形をカレンフェルト、すり鉢状の穴をドリーネと言う) 経塚山を経由して深い熊笹の道をそして五十cmもの雪を踏みながら、三十分程で最高点に到達した。十一時五十分。登山案内にある休憩込みの所要時間は二時間五十分なので一時間オーバーだが、まずまずだ。鈴鹿山脈の最北端に位置する霊仙山は名神高速道路・東海道本線東海道新幹線を挟んで十五?北にある伊吹山と対峙し、のびやかな堂々たる山容を誇っており、山の歴史は古く白鳳年間に霊仙三蔵が開基したと言われている。これ以上はあり得ないと思われる無風快晴の山頂からの三百六十度の展望は素晴らしい(出来れば写真を添付したいのだが)。追い抜かされた感じから、今日は十組三十人程度の登山者があったと推定するが、ここ最高点には今男三人女四人組みが持参した野菜などで鍋物を作っているようだ。
こちらは下りも時間が掛かるので、三十分の頂上滞在で下山を開始する。十四時前に見晴台に戻ったが依然として無風好天、お陰で雪解け道はべとべと、滑らぬように両手の杖を使ってもと来た道を下りた。朝は閉まっていた、廃村の近くの山小屋が開いていて、店番の老人と談笑する。我々は同じ道を登り下りしたわけだが、健脚ならぐるり一周もあるそうだ。その場合、山頂から西南尾根を延々と下るのだが、その途中に福寿草の大群落があるとの事。一周はとても無理だが、西南尾根を登り、群落地迄行って帰ってくるのは可能だ。「来年の四月にはそれに挑戦してみる」と老人に約して別れた。(平成十九年十二月)